こんにちは、リブラです。今回は、「ヒロインの旅」の解説です。

 

 

 

「ヒロインの旅」第5章「通過儀礼と女神への降下

・ダーク・マザーとの出会い

 

モーリーン(「ヒロインの旅の著者)のクライエントに「ダーク・マザー(暗い母)」に会う夢を見た人がいた。

 

夢の中のその女性は、地下鉄で娘を見失い、荷物もお金もなくしてしまい、向かう駅の名前も思い出せず、行き先不明の電車に乗り続けるしかなかった。電車の向かいの座席は具合の悪そうな女性とその付き添いの女性が座っていた。

 

モーリーンはその夢を見たクライエントに、その乗客との会話を想像してもらった。

するとクライエントは、「具合が悪そうな女性はわたしの母で、その付き添いをしている女性はわたしです」と答えた。

 

「母は自分の病気を盾にしてわたしを束縛するのです。わたしは感情が麻痺してしまい、地下鉄の行き先さえわかりません。なのに母と車内に閉じ込められている。

 

母はわたしを愛していないけれど、きっとわたしが必要なんだと思うようにしています。

『母の介護をしているわたしは、いい子でしょう?』とでもいうように。

 

荷物もお金も家族も持たず不安そうだけれど何も縛られていない、その夢の主人公の女性(もうひとりの自分)が自由で羨ましい。

母を失うか、母のために生きている自分を失うか。ネガティブな母に支配されたくない。ここから抜け出したい。

 

わたしは日の光がある場所に出たい。母が地下鉄に乗り続ける(ダーク・マザーであり続ける)なら、母は好きにすればいい。わたしは次の駅で降りるわと言うと、母は縮上がりました」

 

このクライエントはその後、40日間肺炎で寝たきりになった。高熱と孤独で苦しかったが、人生の転機と浄化の時間でもあった。

もう、怒りで窒息しないで済むと気づいたのだ。

 

そして、肺炎が完治に近づいたある日彼女は「わたしも冥界に下ったイナンナのように、従者に危機のときは助けを呼ぶようにことづけておけばよかった」と言った。

 

冥界下りは内省の時期だ。自分でないものを削り取り、言葉を発する前の自分に戻らねばならない。冥界下りを成長の糧にするには、闇で迷ってはならない。

 

夢に出てきた<地下鉄>は冥界を表し、その<地下鉄>で「何もかも失い、行き先もわからなくなった女性」はそのクライエント本人のありのままの状態を表し、「具合が悪い女性の付き添いをしている女性」は過去~現在までクライエント本人がやってきた娘役を表しています。

 

そのクライエントが人生の変革を決断しないかぎり「介護者(娘役)」は続行され、彼女の人生は終着駅までそれで埋め尽くされて行きます。そういう人生をそのクライエントが本心から望んでいるならば、それは幸せな人生と言えるでしょう。

 

でも、そのクライエントは「ダーク・マザー」に人生のすべてを占領されることは望んでいません。それは本人不在の娘役だけの人生だからです。クライエントの母は娘を専有したくて病気を盾にしています。まるでペルセフォネに執着するデメテルのようです。

 

もしも、デメテルの思いどおりにペルセフォネが生きていたとしたら、永遠に花摘み遊びをする10代の少女で結婚するチャンスもなかったでしょう。

 

そのクライエントの母親も<地下鉄>の車両に閉じ込められているのですから、このふたりは共に冥界下り(女性の通過儀礼)中なのでしょう。おそらくこのふたりは共依存関係(愛や信頼ではなく必要性でつながる関係)です。

 

母親は<病気の母親役で孤独を埋める>という必要性で、娘は<献身的に介護する良い娘役>という必要性です。お互いその役割にしがみつかないと、自分が何のために生きているのかわからなくなるのでネガティブな母娘関係を卒業できないのです。

 

ですから、冥界下り(女性の通過儀礼)で、クライエントの母親は「母親役」の喪失を克服するために、そのクライエントは「母の娘役」から自由になって「ほんとうの自分」の人生を生きるために、そこに挑む覚悟を試されます。

 

「冥界下りは内省の時期だ。自分でないものを削り取り、言葉を発する前の自分に戻らねばならない」とは、徹底的に自分の本質を追求するために外部からの影響やプログラムをはぎ取って行くことを意味しています。

 

「ありのままの自分」に戻らないと、「ほんとうの自分」に帰る道は見つかりません。ところが、この冥界下り(女性の通過儀礼)に直面するのは、親や社会から刷り込まれた常識や役割が自分のキャラクターの一部になってしまった後なのです。

 

それまで自分だと思っていたものを削り取らなければならないのですから、怖れにも不安にもさらされ、無価値な人間に転落したように感じます。

 

わたしも長女役が自分のキャラクターの一部になっているのに気づいたのは、30代後半の頃です。うつ病の母の愚痴の聞き役を当然のようにやり続けていました。

 

ある日病院勤務で帰宅が遅くなり、へとへとの状態で横になっていると母から電話がかかってきました。「疲れているからもう眠りたいのだけど。もう、切ってもいい?」というと、母は泣き声で「どうして?あたしは4人も子どもを産んで身体をボロボロにされたのに、独りぼっちされるの?お父さんは昨日から旅行に行っちゃったから、この家にあたし独りなのよ。昨日も今日も眠れないの。寂しくておかしくなりそう」と言いました。

 

それを聞いたときにわたしの中からインナーチャイルドの怒りの声が上がってきました。「この女はわたしの睡眠時間まで奪い取ろうとしている!わたしのすべてを奪うのが当然の権利だと思っている。みんなこの女から離れたくて出ていったのが、まだ、こいつはわからないのか」と聞こえてきました。

 

でも、長女のキャラクターのわたしはそれをぐっと飲み込んで、「お母さん、わたしは15年くらいずっと独りで暮らしているよ。お父さんに怒鳴られる心配もないから、家を出てからよく眠れるようになったよ。うるさい人がいないんだから、羽を伸ばせばいいじゃない。お母さんは夜眠れなくても眠くなったら好きな時間に眠れるよね?わたしは明日が早いからもう寝るね」といって電話を切りました。

 

うつ病である母に怒りをぶつけてはいけないと思って取り澄ました長女役の自分が出てやったことですが、その後自分の怒りですぐには眠れなかったのです。その日から1週間電話線を外しました。

 

親子の縁も電話と同じくらい簡単に切れるといいのにな。このまま一生母と話せなくてもわたしは寂しくも悲しくもないのだろう。むしろ幸せかもしれない・・・と思ったときに、「一生会わない方が幸せと思える人となんで自分の貴重な時間を割いて話しているのだろう」と疑問が湧きました。

 

疲れていなければ、イライラしていなければ、ちょっと電話で話を聞いてあげるくらいのことは容易いからかもしれない。でも、わたしのインナーチャイルドは母の声も言葉も聞きたくないし、長女キャラをやめろと怒り狂っていました。

 

インナーチャイルドは意識界の存在だから外の世界のルール(病気の親は労わらなければいけないという常識)はわかりません。インナーチャイルドがわかるのは感情だけです。

 

そして、わたし(大人意識)だけが外のルールも内側のインナーチャイルドの気持ちも理解することができます。外のルールも尊重し、内側のインナーチャイルドの気持ちも尊重しないと、わたし自身の幸せな状態は成り立ちません。

 

だから、長女キャラはもう必要ないからやめて、母には余裕があるときだけ話を聞いてあげることにしました。

それと電話の最初に「用件を先に言ってほしい」と言うことに決めました。母から「娘に電話するのに用件が要るの?」と文句を言われましたが、こうすることで用件にのみ答えてすぐ切ることが可能になったのです。

 

10分以内に電話を切ることができるようになったら、自然と母から電話は来なくなりました。長女キャラも手放したので、母に対する罪悪感もありません。父や母を赤の他人と思う方が優しく接することができるので、自分でも驚きました。

 

わたしの冥界下り(女性の通過儀礼)では、家族のしがらみを切り離すことが必須だったようです。個としての自分の本質を追求するときは、自分以外のものを引きずったままでは不可能です。

潔く切り離して軽くなってしまえば、選択肢も拡がりもっとよい在り方や関係が再構築できます。

 

次回は「チャップリンとヒトラーのホロスコープ比べ読み」次々回はティール・スワン著「自分を愛せなくなってしまった人へ」の解説を、そのは「ヒロインの旅」の解説の続きを予定しています。

 

 

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