こんにちは、リブラです。今回は、ティール・スワン著「自分を愛せなくなってしまった人へ」の解説の続きです。

 

ツール20 愛とは与えること

・期待をせずに心から与える

 

わたしたちの社会では、自分を犠牲にして与えることで自分の中の罪悪感を消そうとすることが、よくあります。

 

でも、このような動機で人に何かして与えたところで根底に怒りが湧きますから、相手の幸せを増やすことはできません。

それどころか、幸せを損なってしまいます。

 

他人の幸せを増やすというのは、あなたが彼らの幸せの責任を持つという意味ではなく、自分が人から接してもらいたいように他人に接するということなのです。

 

「与えること」が幸せを導く選択になるには、内発的動機から「与えること」が大切です。

お返しに対する期待や要求が存在しない場合に限り、「与えること」が幸せを導くのです。

 

他人の幸せを願うことは「人の幸せを見るのはとても気持ちがいいから、自分の幸せを世の中に分け与えよう」という選択なのです。

そこに注目や承認、感謝や報酬などを得ようという期待がある限り、「与えること」が幸せを導くのを邪魔します。

 

わたしたちの多くは、他の誰かが突然自分に愛を示し、幸せを与えてくれるのを待ち望みながら生きています。

しかし、実際には「みんながそれを待っている」という状況があるだけで、その状態から抜け出すことはできません。

 

「心から与えること」を始めることによって、あなたはその状態から抜け出せます。

それが「誰かが突然自分に愛を示し、幸せを与えてくれる状況」を現実に生み出すのです。

 

「犠牲を払ってまで与えること」を他者にされたら、喜んで受けとる人はおそらくいないでしょう。

それなのにわたしたちは、なぜか身を削って与えることを美徳のように捉えてしまいます。

 

そして、それを受けとった相手が感謝してくれなかったり、無反応だったりすると「こんなに頑張ってやったのに!」という怒りや失望が沸き上がり、さらに嫌な気分になります。

 

「貢献」と「犠牲」の区別がつかなくなってしまうのは「犠牲を払って与えたのに感謝してもらえなかった」ときの苦い体験が、「与えること」そのものにネガティブな思いを張り付けてしまうからなのでしょう。

 

「貢献」は喜びのエネルギーが「与える人」と「受けとる人」の間に循環するので、無理なく続けられます。

「犠牲」は「与える人」が苦しみのエネルギーを放射するのでそれを「受けとる人」に罪悪感をもたらし、続けることが困難になります。

 

「貢献」と「犠牲」はこのくらい違うものなのです。

しかもスピリチュアルな観点からの「貢献」は、「喜びのエネルギーを与え、喜びのエネルギーを受けとる」ことなので、「喜び」の周波数しか持たない魂意識や「大いなる存在」もそこに共鳴する共同創造でもあります。

 

「喜びの動機から与えること」=「貢献」には計り知れないほどのパワーがあります。

「与えること」の方が「受けとること」より価値があるようにわたしたちが感じるのは、「喜びの動機から与えること」をするときの気持ち良さを、無意識レベルで受けとっているからです。

 

「喜びの動機から与えること」をすると、無意識レベルで何を受けとって気持ち良くなっているのでしょうか?

それは、セルフイメージの拡大のチャンスを受けとっているのです。

 

セルフイメージは、「自分が自分自身に対して持つイメージ」です。

このイメージは、わたしたちの潜在意識で作られます。

 

「喜びの動機から与える」とどんなことが潜在意識で起きるかというと、「喜び」という嘘偽りのない「心から与えること」になります。

すると人間レベルのギブ&テイクを超越した創造主のマインドに近いセルフイメージを潜在意識は創り出します。

 

創造主のマインドに近い拡大したセルフイメージを持つと、森羅万象・万物もそのセルフイメージの波動に近いものが集まってきます。その結果、予想を超える幸せな展開が起き始めるようになるのです。

 

「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者であるロバート・キヨサキが、子どものお金の教育のために作った「キャッシュフロー101」というボードゲームには、どこまでも続いて終わりがない「ラットレース」が、循環する円状のコースとして設定されています。

 

「ラット(ドブネズミ)レース」は文字通りお金の欠乏に喘ぎながら競争して進むコースです。

ところが、このラットレースになぜか「チャリティーする」地点が設置されているのです。

 

キヨサキ氏がわざわざラットレースに「チャリティー」を設置したのは、気まぐれなんかではなく、何か深い意味がありそうだとゲームに参加したとき思いました。

 

そこに注目していたら、実際、凄い展開を目の当たりにしました。

ゲームの設定で低いサラリーになり、勝ち目がほとんどなかった女性が「どうせ勝てないのだから、オモチャのお金とは言えこのチャリティーで10ドル寄付していい気分になろう!」と言って、チャリティーしたとたん、やることなすこと利益につながる展開が起きて、あっという間にファーストロード(お金持ちロード)行きが決まってラットレースを脱却したのです。

 

ここで起きたことも、なんの見返りもなく(オモチャのお金を)寄付したことでセルフイメージが拡大し、幸せな展開を呼ぶという結果です。おそらくキヨサキ氏は「チャリティーによるセルフイメージ拡大」の効果を狙い、「ラットレース」にチャリティーを設置したのでしょう。

 

つまり、「ラットレース」の餌食になって貧困に苦しんでいる人でさえ、セルフイメージの持ちようで豊かな人生に転換できるとキヨサキ氏は言いたかったのではないかと思いました。

 

そのことに気がついて以来、わたしはわたし自身に対して責めて萎縮させたり、悪いイメージを抱くのをやめる努力をしました。

 

次回は「パスワーク」、次々回は「フレディ・マーキュリーのホロスコープ」、その後「自分を愛せなくなった人々へ」に続きます。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーでは、あなたの心のしくみをホロスコープで解説し、

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新メニュー(*月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、*キローンの苦手意識を強みに変えるワーク)

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。