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パスワーク(新装版)―自己のすべてを受け入れ統合された意識で生きる
2,323円
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こんにちは、リブラです。今回は「パスワーク」の解説です。
歓迎できないことが起きたとき、間違った先入観や破壊的な反応を最初に疑ってみる習慣を身に着ければ、人生は劇的に変化するでしょう。
それに比例して、痛みを感じることはだんだんと少なく、喜びがますます自然な状態となっていきます。
ネガティブな側面に持続力があるのと同様にポジティブな側面にも持続力があります。
愛すれば愛するほど、自分からも人からも奪うことなく、純粋な愛情を生み出せます。
この普遍的な感情に同調していれば、愛をやり取りしながら経験するための、新たな方法、さまざまな在り方を見出せるようになります。
人生とは、継続的で終わることのない発展や自己表現のプロセスなのです。
この原理は、ネガティブな持続力と同様ですが、唯一異なっているのはポジティブなプロセスには際限がないということです。
美、喜び、楽しみ、愛、創造的表現などを体験する能力は実に無限です。
わたしたちは、哺乳類の身体を持ち、その身体を管理するエゴと神の分霊である魂意識でできています。
動物の身体と動物的本能と神の精神性を合わせ持つ存在が、わたしたち人類です。
12星座の神話にもよく登場する「半神半獣」の存在が、わたしたち人類なのです。
身体は物質界に属し、エゴは意識界(エーテル体)に属し、魂は精神世界(アストラル体)に属すので、物質的寿命のある身体に永遠の命が宿っている形になっています。
わたしたちのエゴは、元々地球のあらゆる物質に宿る意識でした。
石に宿っていたことも、木に宿っていたことも、花に宿っていたこともありました。
そしていろんな動物の転生を終えて、やっと人間に生まれるようになったのです。
ですからわたしたちのエゴは、地球という星を物質界レベルで知り尽くしているのです。
ただし、人間の転生からは、魂(神)意識が同居するようになりました。
いままでのように、動物の身体を我が物として君臨するわけにはいかなくなったのです。
もちろん、それは人間の転生を始める前にエゴが切望したことです。
エゴも魂のように永遠の命を得て、全知全能の存在の一部に進化したいのです。
だから、そのレッスンのために魂意識と共に人生を生きることを受け入れたのです。
しかし、人生が始まるとそれを忘れてしまうので、本能に刷り込まれた動物としての(物質界だけの)生き方で、生存しようと固執します。
魂意識は「自由選択」という愛の下でエゴを育てますから、エゴが固執する物質界限定の生き残り戦略を取り去ることはしません。
ただ黙ってそれを見守るだけです。
でも、魂の計画では「物質界を生き残るのに有利な人生」を目的としていませんから、エゴがそれを最優先にする限り、用意された人生に抗うことになります。そして、そこに苦しみが発生します。
エゴのために用意された「意識を進化させるためのタスク」をそっちのけで、「物質界を生き残るのに有利なこと」を最優先に勤しむのは、学びたくて入った学校の課題をそっちのけで、お小遣い稼ぎのバイトに勤しむ学生と同じですから。
当然、その人生の危機が訪れます。
そんなときは、「間違った先入観や破壊的な反応を最初に疑ってみる」ことです。
危機は、「意識を進化させるためのタスクをやりなさい!」というサインですから、「間違った先入観や破壊的な反応を最初に疑ってみる」ことで、人生をエゴ主導→魂意識主導に切り替える絶好の機会なのです。
人生における物質界の危機というのは、本来、生存の危機だけです。
エゴが主導権を握ってよいのは、生存の危機で本領発揮して、生命を確保するときだけなのです。
それ以外のときは、魂意識主導の人生の導きに従えば、設計された通りの人生を美、喜び、楽しみ、愛、創造的表現で生きることになり、エゴは無限の可能性の中で進化を遂げることになります。
このような魂意識主導の導きを受けとるためには、「物質界を生き残るのに有利なこと」を最優先するために作られた観念や反応に気づいて手放し、「意識界を生きるために有利なこと」を最優先にしていく習慣が必要です。
「意識界を生きるために有利なこと」のファーストステップは、生存の危機でもないのにネガティブな思考で感情を脅さないことです。
ネガティブな思考で生存の危機を感じて怖れが止まらないときは、「いま、ここ、この瞬間」に何をすべきかに集中させて、5分間だけ考えてみます。
そして、その答えを「いま、ここ、この瞬間」で可能な限り実行します。
それでネガティブ思考の役目はおしまいですから手放していいのです。
ほんとうの生存の危機にそれ以上の時間をかけていたら、生き残れません。
エゴが生き残りのために思考の主導権を握っていいのは、5分間だけです。
それで答えが出ないのなら、感情に怖れを与えるダメージばかりですから、そのエゴ(生存本能)の主導権は剝奪してかまわないのです。
それが済んだら、そのとき発生した「怖れ」の感情について考えてみます。
このときは、誰かのせいとか、置かれた環境のせいにしないで、魂が設定した「意識界を生きるために有利なこと」のタスクと捉えてみるのです。
「なぜ、わたしはそれを怖れるのだろう」と自問してみるとよいでしょう。
答えが出たら「いつから、それを怖れるようになったのか?」を可能な限り遡って考えてみます。
一番幼いときのその「怖れ」の感情を見つけたたら、心で寄り添って一緒にその「怖れ」を感じてあげましょう。
「『怖れ』で知らせてくれたから、やっとキミを見つけられたよ。もう、ひとりぼっちじゃないからだいじょうぶ。真っ暗じゃないよ。光はここにあるよ」と言って、金色の陽の光をイメージしてその「怖れ」を包みましょう。
「怖れ」が金色の光に温められて溶けてしまえば、それで終了です。
「いま、ここ、この瞬間」にいて「怖れ」の感情がなければ、わたしたちはいつでも魂意識の導きを直感や感覚を通して受けとることができます。「怖れ」があると、その直感や感覚を思考で疑い「無かった」ことにしてしまうのです。
魂意識は、「大いなる存在」とひとつですから、ずっと「喜び」の波動を放射しています。
ですから、「怖れ」が無い状態で、「いま、ここ、この瞬間」にグランディングして意識界で「喜び」が発生すると、エゴも魂意識も「大いなる存在」も「喜び」の波動でひとつになれます。
すると、森羅万象・万物は「大いなる存在」の波動に従いますから、起こる出来事も美、喜び、楽しみ、愛、創造的表現のチャンスとして現れるようになり、「喜び」の共鳴が続くのです。
溶存する光
わたしは鉱物として死に、植物になった。
わたしは植物として死に、動物に進化した。
わたしは動物として死んで、人間になった。
いったいわたしは何を怖れるというのだろう?
けして死によって失われることのない存在がわたしではないのか? byルーミー
The Dissolving light
I died as mineral and became a plant.
I died as plant and rose to animal.
I died as animal ,and I became human.
Why should I fear anything?
When was I ever less by dying? —RUMI-
次回は「ガガーリンのホロスコープリーディング」、次々回は「自分を愛せなくなった人々へ」、その後「パスワーク」に続きます。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。