パスワーク(新装版)―自己のすべてを受け入れ統合された意識で生きる
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こんにちは、リブラです。今回は「パスワーク」の解説です。
自分自身の本質(魂)に力を向け直し本来の性質を取り戻すには、欲求を満たしてくれそうな相手や恨みや憎しみを抱く相手を手放さなければなりません。
そうでなければ、人に期待して、自分自身以外誰も満たすことができない欲求を相手に突きつけ、本来の自分の性質は封印されたままになります。
渇望しているものは、心に恐れがなくなったときのみやってきます。
大人であるのに子どものように期待する誰かや恨む誰かを手放さないでいると、心はその誰かへの思いの奴隷になってしまいます。自分を奴隷にすればするほど受け取ることも与えることもできなくなり、ほんとうの感情も居場所をなくしてしまいます。
恐怖や怒りなどのネガティブな感情を解き放つ(表現する)と、よい感情のための空間が生まれます。
しかし、多くの人は、ネガティブな感情を表現してその責任をとるよりも無意識にあらわにする方を選び、ネガティブな感情の問題をくり返して悪循環を続けます。
恐れや怒りなどのネガティブな感情から解放されるには、「幸福を生み出す能力を発揮できるかどうかは自分の責任である」と認め、「ネガティブな感情を抱き続けていることも自分の責任である」と認めることです。
自分の感情の責任を自主的とることで心は誰にも依存しなくなり、奴隷状態から解放されて自由を取り戻します。
心の自由を得ると他者にも寛大になり自由を与えることができるようになるので、人間関係の怖れや怒りは発生しにくくなっていきます。
この地球上の人々のすべてが恐怖や怒りを手放したとしたら、どんな世界になるでしょうか。
きっと、誰もがご機嫌でやさしく、警戒する必要がなくなるから平和になると思います。
「ネガティブな感情を手放す」たったそれだけで、この世は戦争が絶えることのない地獄から争いのない天国に変わってしまうのです。恐れや怒りを手放すのですから、争いに燃料を注ぐよりも、楽しいことに使おうとしますよね。
しかも、感情は自然現象ではなく、自分で選べるのです。
「ネガティブな感情(怖れや怒り)」を選ぶか、「ポジティブな感情(喜びや楽しさ)」を選ぶかで創造される現実も変わってきます。
想像してみてください。イライラして生きている人と喜んで生きている人では、どちらにチャンスをあげたくなるでしょうか?
当然、喜んで受けとってくれそうな人により多くのチャンスはやって来ますね。
わたしたちの経験上の想定だけでなく、「引き寄せの法則」でも周波数が同じものが共鳴して集まってくるので、喜びや楽しみの感情を放射している人のところに、喜びや楽しい現実が現象化してくるのです。
こんなことは、人間に生まれて5年くらい経つと、くり返される体験から学習してなんとなく気づいてくるものです。
怒って文句ばかりいっている子より、どんなことでも楽しんでしまう子の方が人気者になるのを見ているはずですから。
それなのに、なぜ、この世は争いが絶えず、ネガティブな感情を感じることが日常で幸せを感じることが少ないのでしょう。
*「ネガティブな感情」を持っていると→「ネガティブな現象」が引き寄せられる。
*「喜びの感情」を持っていると→「喜びにつながる現象」が引き寄せられる。
*その感情は自分で選べる。
*誰もがそれを経験的に気づいている。
これだけ条件が揃っているのになおかつ「ネガティブな感情」を持つ人がいる場合、それは好き好んで「ネガティブな感情」を選択しているとしか思いませんね?
痛風(尿酸結晶が関節に沈着して激痛を起こす)のに、ビール(尿酸の元になるプリン体がたくさん入っている)を飲んでしまう人みたいですよね。ビールを飲んだら痛みが出るのに、「わかっちゃいるけどやめられない」のです。
ビール好きは、自分で選んでたくさん飲んできた自覚があるでしょうけれど、なぜ、わたしたちは好きでもない「ネガティブな感情」をわざわざ選んでしまうのでしょうか?
このあたりの謎が巧みに隠されているので、わたしたちは好きでもない「ネガティブな感情」を、つい、選んでしまうのです。
それはわたしたち人間が社会に馴染むような教育を受けたからです。
「北風と太陽」というイソップ物語がありますが、親や学校や社会が手っ取り早く子どもにいうこときかせようと思ったら、北風のように強制的にコートを奪うやり方を取るか、太陽のように旅人が自分からコートを脱ぐように仕向けるか、どちら方法を取るでしょうか?
通常は、北風方式ですね。子どもの意思を尊重して、自発的にやるのを待っていてはくれません。
「○○しないと××になってしまうよ!」と、「恐れ」をイメージした条件づけでわたしたちは教育されてきたのです。
「恐れの条件づけ」ですから当然、「ネガティブな感情」が発生します。
つまり、「喜び、楽しみの感情」よりも、「ネガティブな感情」の方が馴染み深いわけです。
そして、エゴ(生存本能)は、馴染み深い方に安心感を覚えてしがみつく性質があります。
よく「幸せ過ぎて恐い」と、幸せなのにそれを素直に受け止められない人間の反応がありますよね。
「恐れの条件づけ」によってネガティブな感情に慣れ親しんでしまったわたしたちは、自分の強い意思を持って、「恐れの条件づけ」から「喜びの条件づけ」に転換していかないと、「喜びの感情」が創る「幸せな人生」にシフトしないのです。
それでは「恐れの条件づけ」を手放すにはどうしたらいいのでしょうか?
「恐れの条件づけ」は、上の者が下の者のを従わせるための手段です。
ですから「奴隷(従者)マインド」が、「恐れの条件づけ」の温床になっているのです。
「奴隷(従者)マインド」とはいかなるものかと言いますと、「誰かによって、幸せになったり、不幸になったりする心」です。
「奴隷(従者)マインド」を持っていると、「自分の幸せを創造するより、誰かに幸せにしてもらう方が幸せ」と感じるようになってしまいます。
そして、幸せにしてくれるはずの人が期待どおりにしてくれない場合は、被害者のような気分になり恨みを持つようになります。
冷静に考えばわかることですが、他者に望みを叶えてもらうよりも自分が自分の望みのものを取りに行く方が簡単ですよね。
期待をすることで他者にエネルギーを注ぎ、期待を裏切られたことに恨んでまたエネルギーを消耗するので、本来、望みのものを具現化できる感情のエネルギーを無駄遣いしてしまうのです。
ですから、「奴隷(従者)マインド」を手放すところから始めるのです。
「奴隷(従者)マインド」を手放す特効薬は、「幸福を生み出す能力を発揮できるかどうかは自分の責任である」と認め、「ネガティブな感情を抱き続けていることも自分の責任である」と認めることです。
簡単言えば、「幸せも不幸もすべて自分の責任である」と認めるのです。
これさえ認めてしまえば、幸せの責任をとるために「ネガティブな感情」を選ばなくなります。
選んでしまったら、「不幸」を望んでいるということになりますから。
常に「幸せの責任をとるためにはどうしたらいいのか」を自分の頭で考えるようになります。
とりあえず、「ネガティブな感情」は選ばない、気づいたらやめるようになっていくでしょう。
これを習慣にしていると、もう「奴隷(従者)マインド」は手放したも同然です。
「奴隷(従者)マインド」は、自分の幸せを人に期待するやり方しか思いつきませんから。
わたしたちは生まれた瞬間から「奴隷(従者)マインド」を刷り込まれていますから、その刷り込みを外すのも一朝一夕というわけにはいきません。
でも、自分を愛する人だったら、「奴隷(従者)マインド」から自由になるために「自分の幸せと自分の感情の責任をとる」ことをし続けると思います。
次回は「ガガーリンのホロスコープリーディング」、次々回は「自分を愛せなくなった人々へ」、その後「パスワーク」に続きます。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
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