パスワーク(新装版)―自己のすべてを受け入れ統合された意識で生きる
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こんにちは、リブラです。今回は「パスワーク」の解説です。
悪循環とは次のようなものです。
宇宙のあらゆるものはすでに存在しており、必要なものは人生に何でも出現させることができるのですが、これを知らないと、必要なものを手に入れるために外側の力や権威に頼りたくなってしまうことです。
間違った源に欲求を満たしてもらおうと期待してしまうわけです。
その欲求が満たされず切迫するほど、依存や期待も大きくなります。
自分の欲求を叶えてくれそうな人を喜ばせる努力も、切迫した期待に常軌を逸するようになります。
この状態は非現実的なので、頑張れば頑張るほど欲求を満たせなくなるわけです。
欲求を満たそうとするがあまり、自己を裏切ると絶望し、強迫的傾向を生み出します。
強迫的傾向は人に抵抗を生じさせ、その強迫的な行動が人間関係に亀裂を生んでいるのに気づかず、怒りや憤激や復讐心を募らせて罪悪感まで発生させるのです。
そして、あまりにも長く欲求が満たされないことを憎み、恨んでいる相手に愛され受け入れられることを渇望するという、おかしな立場に身を置いてしまうのです。
他者によって欲求が満たされないと、本来「自分には望む楽しみを味わう権利がある」ことの確信は揺らぎます。
すると、「深く隠された本来の欲求の力」と、「それを満たす権利はないのではないか」という疑いに引き裂かれることになります。
「~せねばならない」という強迫的な気持ちを密かに他者に投影する度合いが酷くなるほど、自分の力を不活発にしてしまいます。
そうなるとあらゆる可能性が存在する自己の核には入れません。
自己の核に宝を探すなら自由になれます。
人に依存しなければならないと信じて、内なる密かな圧力を相手にかけ続けているなら、エネルギーは間違った方に流れていくので、尽きてしまうしょう。
エネルギーは、自然で正しく、意義のある方法で使われるなら、枯渇することはありません。
人の中に暮らしている以上、誰かに助けてもらったり、助けてあげたりという関係と無縁でいることはできません。
ですから、「依存と自立」という問題は、人間関係があるところに必ず浮上してきます。
そのとき、意識して欲しいのが今回のテーマである「悪循環」と「強迫的傾向(他者に強迫的な気持ちを投影する傾向)」です。
「自分では欲求を叶えることはできない」と思い込んでいるインナーチャイルドなのですが、その思いに本人の大人意識が乗っ取られてしまうと、欲求を叶えてくれると信頼した人物に過剰な期待を膨らませて、その欲求に応えてもらえないなら絶望だと強迫的な傾向に苦しむのです。
本来、人に自分の欲求を叶えてもらうというのは、成功する度合いが低いものです。
強い欲求を持った者がダイレクトに取りに行くからモチベーションも上がり、早く確実なのです。
それにシンプルなやり方です。
誰かに依存して欲求を叶えてもらうことは、大変なエネルギーを注ぐ割に思い通りにいかず、ストレスが多いのです。
たとえば、お腹が空いている人が食材を求めて買い出しに行き、自分で料理をして食べるとしたら、自分の好きな物を急いで買ってきて料理するまでのプロセスも楽しめるから、そこに注ぐ力も途中で枯渇してしまうことはありません。
ところが、それを人にお願いするときは、その人に頼むことから始めなければならなくて、その人が急いでくれる保証はなく、ほんとうに食べたい物を望んだ通り料理してくれるかもわからないのです。
しかも、その行動は、自分にとってはメリットがあっても、その行動してくれる人にとってはなんのメリットもないかもしれないのです。
やりたくない人にやらせている可能性もあるのです。
こうなると、自分の利益のために人を犠牲にしている罪悪感も出てきますよね。
罪悪感が発生すると、欲求とそれを依頼することに葛藤も生じるので、欲求に向かうおうとするエネルギーとその欲求による罪悪感から抵抗するエネルギーの分極ができて、具現化のエネルギーを相殺してしまう形になるのです。
だから、人に自分の欲求を叶えてもらおうと依存すると、エネルギーを消費した割に期待通りではなくてがっかりすることが多いのです。
もし、思い通りのものが得られたとしても、自分の力で獲得したわけではないので達成感はなく、人に自分の欲求を叶えさせてしまったという罪悪感が潜在的に発生するので、手放しに喜べません。
日本人が感謝の言葉として使うことがある「悪いですね。こんなにやってもらって」というのは、人に自分の欲求を叶えさせてしまったという罪悪感から来ているように聞こえます。
人と共に暮らしている以上、「依存と自立の問題」はつきもので無縁ではいられません。
でも、それに関わると依存の悪循環が生まれてしまうリスクもあり、ジレンマですよね。
何から何まで自分でやることにこだわると、自立の精神から孤立してしまうかもしれません。
「依存と自立の問題」のちょうど良い境界線がわかったら、楽ですよね?
じつは、それが簡単に判別する方法があるのです。
「自由選択を侵害しているか、否か」で判別すると、罪悪感なく人に頼みごとができますし、強迫的な投影を相手にしません。
なぜなら、頼む相手の自由意志にゆだねることになるので、期待しないからです。
「人に欲求を叶えてもらうときには、期待しないこと」を前提にしていると、頼んだ相手がどんな風にその欲求を叶えてもイライラしませんし、やってくれただけでもありがたさを感じて感謝したくなると思います。
感謝は喜びの波動ですから、「大いなる存在(創造主)」のエネルギーもサポートしてくれます。
人は自由意志で自発的に物事に向かうと、それだけでパワフルになります。
喜んでその行動ができるのです。
しかし、誰かに命令されて動いたとしたら、それだけで疲れやストレスを感じることでしょう。
そして、この世は見えない投影が働く世界です。
誰かに依存し、それに罪悪感も感じ、望みが思い通り叶わないというストレスを持ち続けていたとしたら、それが投影される現実というのは、幸せなはずがありません。
自分の自由意志も他者の自由意志も尊重して、誰かに頼り頼られたりが投影される世界は、必要とするものやチャンスが必要なときにちょうどやってくるような、自然で豊かな流れの現実が展開していくのです。
次回は「ガガーリンのホロスコープリーディング」、次々回は「自分を愛せなくなった人々へ」、その後「パスワーク」に続きます。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。