こんにちは、リブラです。今回は、ティール・スワン著「自分を愛せなくなってしまった人へ」の解説の続きです。

 

ツール2 自分は受け取るのにふさわしいと知る

・「与えない」という悪習

 

自己愛に到達するための最大の障害は、「自分は愛を受け取るのにふさわしくない」という感情です。

このパターンは子ども時代に始まります。

 

わたしたちは幼い頃に、「望むものが手に入らないのは、自分にそれを手に入れる価値がないからだ」と結論づけるのです。

 

親はある時点まで子どもの依存を許していますが、そのうち、子どものためにすべてを提供させられているのは不公平だという気持ちを抱き始めます

そして、子どもに与えていたものを(してあげていたことを)、子どもが受け取るのにふさわしくないと印象を急に与えてしまうのです。

 

すると子どもは、「自分が何か悪いことをしたからだ」、「自分に悪いところがあるに違いない」と思い込むのです。

 

わたしたちの社会も「あなたたちは不十分な存在で、よいものを受け取るのにふさわしくない」と伝えています。

つまり、与えないことによってコントロールをしているのです。

 

世の中を見回すと、「受け取り上手な人」と「受け取り下手な人」がいます。

多くの人は内心「受け取り上手な人はいいなあ。でも、わたしは受け取り下手でかまわない」と思うはずです。

「受け取り上手になりたくない」と、心の中でエゴが囁くのです。

 

えっ、エゴって損得勘定が得意なんじゃないの?と不思議に思うかもしれません。

でも、「受け取ること」が女性性の性質で、「与えること」が男性性の性質であると考えてみたら、どうでしょうか?。

 

男性性の性質の「与えること」が尊重される社会にわたしたちがいることを考えてみると、エゴの囁きも理解できますよね。

 

エゴは、社会の中で「与える」側になる方が優位であると、より成熟していると考えるわけです。

そのように親や社会から教育されていますから。

 

そうして「受け取り上手な人はいいなあ。でも、わたしは受け取り下手でかまわない」という、やせ我慢が習慣化してしまいます。

つまり、「与える側が優位である」という観念が定着するのです。

 

この観念は自動的に、「与える者を優位」にし、「与える側」に主導権を持たせる傾向をつくります。

簡単に言えば、お上が下々の者を支配するのに好都合な刷り込みなのです。

「受け取り上手な人」が増えてしまったら、コントロールしにくいじゃないですか。

 

わたしは10歳のとき、ミクロの世界に夢中で気になった物はすべて顕微鏡で覗いて見たい衝動に駆られていました。

学校で顕微鏡を覗くだけでは、気が済まなくなっていたのです。

400倍まで見ることができる顕微鏡は、当時、2万5千円くらいでした。

 

お小遣いさえもらっていないわたしには気の遠くなる金額でしたが諦めきれず、とりあえず、月々のお小遣いをもらう交渉をしようと思いました。

その頃、「食わせてもらっているだけで、ありがたいと思え」と親からいつも言われていたので、3人の乳幼児の子守りをずっとしていても、それが当たり前だと思っていたのです。

 

わたしは母に「お小遣いをくれないならば、学校からまっすぐ家に帰って子守りをするのは、もう、嫌だ」と言いました。

そして母は渋々1ヶ月につき5百円のお小遣いを、わたしにくれるようになりました。

 

わたしはどうしても顕微鏡が欲しかったので、1円も使わずに5百円札を10ヶ月間貯めました。

ちょうど5千円になったとき、父が競馬中継を観ながら、競馬新聞を丸めたものでTVを怒って叩いているのを目にします。

 

わたしは「お父さん、どうしたの?」と尋ねると、「全部予想が当たってたんだ。資金がなくて買わないときにかぎって当たりやがって!」と言ったので、わたしは自然な成り行きで高利貸しの交渉を父に申し出ました。

 

わたしの条件は、「貸出し元金5千円を上回る利益が配当で出たとき、その利益分の半分を支払うこと」と「負けたときは、翌月の給料日に元金5千円のみを返済すること」でした。

 

おひつじ座太陽と土星を持つギャブル好きな父は、おもしろがってこの申し出を受けました。

そして翌週には、父が競馬で得た配当の分配でわたしの5百円札10枚は、7枚の千円札になって増えていました。

 

父の予想が外れて元金の5千円を失ったときは、父に借用書代わりに「来月の給料日に5千円を返します」と紙に書いてもらい、貯金箱にしまいました。わたしの父は、やぎ座火星でおとめ座海王星なので、こういう約束事を書面にすると守る人でした。

 

ところが、予想外だったのは父の給料日(返済)までの1ヶ月間の振る舞いでした。

わたしは普段、連帯責任だと言われて妹たちや弟が玄関で靴を脱ぎ散らかしても、父に怒鳴られ打たれていましたが、お金を貸している間の1ヶ月間は、全く怒られることがなかったのです。

 

このとき、小学生ながら、お金が人を縛る力は恐ろしいなと思いました。今になって考えると「与える側が優位である」という社会の刷り込みが父に働いて、お金を返すまでの1ヶ月は優位の逆転が起きてしまったのでしょう。

 

こうして、「無給で3人の乳幼児のベビーシッターをするしか価値がない」と思っていた10歳のわたしは、「わたしの働きは1ヶ月5百円のお小遣いをもらうに値する」と母に交渉したことで5千円を貯めることができ、それを元手に父に高利貸しで2万5千円に増やし、小学6年生の夏休みには自分の顕微鏡で好きなだけミクロの世界を楽しんでいました。

 

「子守りをしてもお小遣いさえもらえない子どもなのだ」と諦めていたら、高価な顕微鏡を持つことは「わたしにふさわしくない」と思ってしまったことでしょう。

それどころか、後に臨床検査技師になろうと思わなかったことでしょう。

わたしの親は、高卒後銀行員にさせて早く稼ぎを家に入れてもらうことを強く望んでいましたから。

 

わたしは自分の顕微鏡が欲しい。こんなに欲しいのだから、何か方法があるはずだ、と諦めずに求め続けたから手に入れるためのチャンスを受け取れたのだと思います。

 

ほんとうは「自分に与える人が優位になる」のです。

 

そこから始めると「投影(照応)の法則」が働いて、森羅万象・万物が豊かに与えてくれる現象が循環してきます。つまり、自然に受け取れるのです。

 

そして、「自分に与えない=受け取れない」と、この豊かさの循環から外れてしまいます。

自分に時間を与える、価値あるものを与える、自由を与える・・・受け取る許可を与えるなど、いままで身を削って他者に捧げていたものを自分に対して捧げてみるだけで、外側の世界は変わって来るのです。

 

とくに今の時代は、ほとんどタイムラグを待たずに、イメージ思考がどんどん具現化していきます。

これは選択しだいでは、ずっと受け取る人になるか、受け取れない人になるかの分かれ道に来ているということです。

 

ちょっと「受け取る(自分に与える)許可」選択をしていくだけで、その投影の豊かな現実が目のあたりに展開していくのですから、もう、その考え方を手放したりはしないでしょう。

 

それは、逆のことも言えます。受け取れない(自分に与えない)選択をすると、直ちに森羅万象・万物に与えられない展開が次々現象化して、ますます「わたしは、受け取ることにふさわしくない」という観念を強めてしまうのです。

 

どちらを選ぶかは、もちろん、自由選択です。

この世は選択の自由を楽しむ「人間ゲーム」ですから。

 

次回は「パスワーク」、次々回は「パラマハンサ・ヨガナンダのホロスコープ」、その後「自分を愛せなくなった人々へ」に続きます。

 

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新メニュー(*月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、*キローンの苦手意識を強みに変えるワーク)

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。