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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
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こんにちは、リブラです。今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」のお話です。
第8章さとりに目覚めた人間関係を築こう
第3節 完全になろうとして「中毒症」になってしまうわたしたち
問い;どうしてわたしたちは、相手に「おぼれて」しまうのでしょう?
答え(エックハルト・トール);それは、「恐れ」、「飢え」、「欠如」、「不完全」を、恋愛関係が取り除いてくれるように思えるからです。
身体のレベルでは、完全になることを求めて、「すべてはひとつ」の状態に戻りたい、という思いが異性に惹かれるという形で表われているのです。正反対のエネルギーの極を持っているために、ひとつになろうとする衝動は、抵抗しがたいものになります。
肉体的な衝動の根底にあるのは、魂の衝動です。「二元性にピリオドを打ちたい」、「完全無欠な状態に戻りたい」という叫びなのです。
セックスで得られる一体感が、「すべてはひとつ」の状態を身体レベルで体験できる方法です。しかしながら、性的な一体感の喜びは、ほんの束の間です。物質界レベルで完全になることを求めても、そこでは達成できません。
心の方の「不完全」という感覚はいっそう深刻です。思考を「ほんとうの自分」とみなしているかぎり、肩書き、所有物、ルックス、成功や失敗など、究極的には自分ではない外側のもので、「ほんとうの自分」を定義づけしてしまうのです。
思考がつくる「にせの自分」は不安や恐れを感じ、たえずそれを打ち消す何かを渇望します。
そこに「愛する人」が現れると、人生の中心を「愛する人との関係」に据えてしまうのです。
恋愛関係の中で、「愛」と「愛と対極のもの(攻撃や言葉の暴力など)」を両方経験しているなら、それはエゴの「中毒的しがみつき」を「愛」と混同している可能性があります。誰かをある時は愛し、次の瞬間には攻撃することは不可能です。
「ほんとうの愛」には対極がありません。
どんな中毒症状も、自身の痛みを直視することを無意識のうちに恐れているために、痛みを克服できずにいることが根本原因です。
痛みを覆い隠すために、酒、食べ物、ドラック、パートナーなどの中毒対象を利用しているのです。
「いま、この瞬間」から逃れ、未来に目を向けようとする理由も、自分の痛みと向き合うことを、何よりも恐がっているからです。
「いまに在る」ことで生まれるパワーは、恐れの根源である過去の痛みを溶かしてしまえることに、気づいていないのです。とエックハルト・トール氏は言っています。
ヒンドゥー教のタントラリズムでは、神との合一の儀式としてのセックスがあります。世界各地の原始宗教的な儀式の中にも、子孫繁栄の営みとして入っています。本来は神聖で大切な神と人間をつなぐ儀式だったのでしょう。
元々「大いなる存在」とひとつだった魂は、個体としての人間の転生に自ら希望して飛び込んだわけですが、エゴの思考による支配で、「いない」ことにされています。見えない・触れない存在ですし、エゴは魂意識を主人にしたくないので魂意識の意図と違う方向を進もうとします。
エゴが信頼して使うツールは「思考」なので、自分自身を「思考」によって定義しようとします。もちろん、「物質界の自分」です。
「目に見えない世界の自分」は存在しないことになります。
だから、「自分は何者か?」という疑問には、自分の身体や自分の経験でしか答えられません。結局、見た目や肩書きや人からの評判など外側の情報で、なんとなく「自分はこういう人だ」と思っているのです。
これでは、ステレオタイプな分類に任せた大雑把な定義づけ、つまり、「個性」の欠片も感じられない「自分の定義づけ」になってしまいます。そして、心の内では「これでは、その他大勢のひとりに過ぎないわたしになってしまう。わたしは、かけがえのない唯一無二の存在として生まれたはずなのに」という不安が浮上するのです。
この不安―アイデンティティクライシス(自己喪失)―が、恋愛関係の中毒症の根本原因です。
たくさんの人間関係の中から、自分の魅力を見つけてくれた人が、特別な眼差しで見つめ、夢中になって「どんなにあなたの存在が素敵なのか」を語ってくれたら、お手軽に「物質界の自分の定義づけ」ができる上に、それを語ってくれる人物は物質界にちゃんと存在する証人になるのです。
エゴは大満足ですよね。恋人が「唯一無二のかけがえないわたしの存在」を証明してくれるのですから。「魂意識なんかなくても、この人生、自分の身体とエゴとそれを認めてくれる恋人さえいればやっていける!」と安心するのです。
ところが、恋愛に賞味期限は付き物です。そういつまでも、既に関係を手に入れた相手に夢中なることはありません。相手は自分の人生の関心事(仕事や趣味や別の人間関係など)にフォーカスを移していくことでしょう。そうすると、エゴはまた不安になってくるのです。
「ちゃんとわたしの方を見てくれているのか?」と。
「仕事(趣味)とわたし、どっちを取るのか?」と、相手の人生の選択と自分との関係性を秤にかけて、エゴの喜ぶ決断にパートナーを誘導する人も、よく見かけます。こうなると、カップルはお互いにアイデンティテイクライシスの痛み防止の「ニーズ(必要性)」の関係になってしまいます。
かつては、「愛」が通っていたのかもしれませんが、自己喪失の痛みから眼を逸らせる「ニーズ」でつながる関係になってしまうのです。
エゴは冷酷ですから、相手が「かけがえのない特別な自分」を見ていないと気づくと、もっとちゃんと見てくれる人を探し始めます。
こうなると、「ニーズでつながる恋人を失うこと」と「自己喪失の痛みが浮上する」不安に、たえず怯えることになるのです。
外側の世界によりどころを求めて手に入れれば入れるほど、それを失う不安も雪だるま式に増えてくるのです。そして、その不安の強さの分だけパートナーへの依存度も増してきます。
パートナーへの依存度が増せば、パートナーの「ニーズ」にも応えなけばならないので、相手に合わせる「にせの自分」の人生を生きることになります。
これが幸せに感じられのならば、その転生の「さとり」のチャンスを棒に振っても恋愛する価値はありますが、絶対幸せが続くことはないでしょう。
なぜならば、恋愛は魂意識が「二元性にピリオドを打ち、ひとつになりたい」という衝動から始まるからです。エゴと身体が選んだパートナーと、魂意識に背を向けて物質次元で一体化しても、魂の共鳴は起こらないのです。
魂意識は「ほんとうの自分」の人生しか意図していないので、それを邪魔するパートナーや「にせの自分」に向かわせる関係には、共鳴しません。そして、「ほんとうの自分」は、誰かに見つけてもらうことはできません。物質界での定義付けも無効です。
自分のアイデンティテイクライシス(自己喪失)の痛みを直視しながら、魂意識にエゴが寄り添うことでしか、「ほんとうの自分」は解き明かされていかないのです。
こうして、アイデンティテイクライシスの痛みを越えて、「ほんとうの自分」の人生を歩き始めた者同士が出会い、向かう方向が同じならば、そこで魂の共鳴が起こります。個として存在する物質界に身を置きながら、魂の共振は「大いなる存在」との共振へ増幅し、「すべてと共振して一体化する」のです。
魂の衝動は具現化し、幸せの連鎖がその共振があるかぎり続くのです。
エゴが求めるものが物質界に限定されるかぎり、その幸せは得られませんが、エゴが最も恐れる魂意識と身体の共鳴があってこそ、「大いなる存在」とひとつになり、「ほんとうの自分」に目覚めます。
エゴの望みと反対に向かい、そこに「喜び」の波動を感じられるならば、間違いなく魂意識と「大いなる存在」と共鳴している状態です。
そしてそのとき感じられる自分が「ほんとうの自分」で、それに出会うと、もう、アイデンティテイクライシスの不安とも、中毒的な人間関係とも決別できます。
次回は「閃く経絡」の解説の続きを、次々回は「ヘレン・ケラーのホロスコープ解説」を、その後に「さとりをひらくと~」のお話しを続きを予定しています。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
