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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
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こんにちは、リブラです。
今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。
第5章 「いまに在る」ってどんなこと?
第3節 「いまに在る」と、万物の美が見えてくる
問い;ひとりっきりで美しい自然に囲まれているときに、瞬間的にですが、「いまに在る」状態を経験したことがあります。
答え(エックハルト・トール);禅の僧侶たちは、瞬間的な無心状態を「さとり」と呼んでいます。
これを経験したときには、素直に喜んでいいのです。
表面的な美の奥に、それを超越した「なにか」が存在します。
それは内に秘められていて、神聖で、本質的なものです。
ほんとうの美に気づくときには、この内なる本質の輝きが、外殻を透過して見えているのです。
わたしたちが「いまに在る」ときだけ、万物は「ほんとうの姿」を明かすのです。
「いまに在る」ことで、無心状態を瞬間的に経験しても、ほとんどの人はその状態にいたことに気づかないものです。その理由は、あっとういう間に思考が活動を再開するからです。
「さとり」は数秒しかもたないかもしれません。それでも「さとり」の状態にあったことはたしかです。
そうでなければ、美を認識してはいなかったはずです。
思考は美を認識したり、創造したりできません。
「いまに在る」瞬間が短いと、思考抜きで美を感じることと、対象に「名札」をつけて解釈するという思考活動の、ふたつの違いに気づかないのです。
思考が活動を再開したとき残るのは、そのときの記憶だけです。
思考がやむことなく「いまにいない」人には、花のほんとうの姿はおろか、花の本質も神聖さも見えていません。
ちょうど「ほんとうの自分」を知らないために、自分の本質も、神聖さも、理解していないのと同じです。とエックハルト・トール氏は言っています。
朝、目覚まし時計に叩き起こされて満員に揺られて出勤し、分刻みで仕事に追われ、疲れてボーッとしながら帰りの満員電車に詰め込まれて帰宅して・・・という毎日を過ごしていた頃は、思考が命じる優先順位でロボットのように生きていました。
この時代の記憶をいくら辿っても、美しい瞬間は思い出せません。
何に生きる喜びを感じていたのかも定かではありません。ただ、眠りにつく瞬間だけはいい気分でいたかったので、川のせせらぎ、波の音、森の野鳥の声、ヒーリングミュージックを毎晩聴いて眠っていました。
この頃「いまに在る」ことができたのは、眠りに落ちるまでのほんの数分だけだったと思います。
でも、そのほんの数分の思考停止状態の心地よさを知っていたので、瞑想を習慣にするのは簡単でした。
空いた時間に目を閉じて座って深呼吸するだけで、心は落ち着き、身体はやすらぎ、消耗したパワーは充電できます。
人と会ったり、運動したり、旅行したりという方が充電できるという人もいるかもしれませんが、わたしの場合は、いつでもできてエネルギーを消耗しない瞑想が、1番心と身体に合っていたようです。
瞑想でなぜ心がやすらぐのか?といえば、思考に支配されないからです。
やらなくてはいけないことも、心配するべきことも、とりあえず、30分間は考えなくていいと決めておく。
全部脇において自分を解放してあげる。
なんでもないような、なんにもしていないような行為なのですが、こんな隙間時間をつくって、思考で追い立てられるストレスから自分を守ってあげる行為が、心と身体の信頼関係を強めます。
無心になれる状態は人それぞれなので、走ったり泳いだりする方が合っていることも、火や花や雲や空を見つめることや、お風呂に浸かることやアロマオイルの芳香を嗅ぐことが合っているという人もいるでしょう。
エックハルト氏が言うように、ほんの一瞬でも無心になれたら「さとり」の瞬間なのです。
大切なことは、その無心の瞬間を有益だと認めることです。
ほんとうは、思考で自分を追い立てて生きることの方が無益なのです。
思考に支配されていると、人生という素敵な旅を電車に乗ったまま、走り去る風景を窓から眺めているだけで終点になってしまいます。
昔、カルロス・カスタネダの本を読んだとき、ヤキ族の呪術師ドン・ファンが、「死ぬ前までに魂が踊ることができる場所を心に焼き付けておきなさい」とカスタネダに言うシーンがあり、はっとしたことがありました。
その頃30才くらいだったのですが、死の直前でわたしの魂を踊らせたいほど美しい場所をイメージできなかったのです。
30年の間に、美しい山も海も森もたくさん見てきたはずなのに、そのときはまだ、本質に至るほど無心で万物を見る目が養われていなかったのだと思います。
思考に邪魔されず無心に美しいものを見つめることができると、心も感動で震えるようになります。
いまでは、家で咲いてる小さなプランターの花にも美しさで心が震えます。
そんなときは、花と自分の心がひとつになって共振しているのを感じます。
視覚的な美しさを見ているというよりは、花の波動から本質を感じてそれを受け止める魂も同じもので共振している感じです。
たぶん、ほんとうに集中して本質を見つめたら、わたしたちはどんなものの中にも「大いなる存在」の周波数を感じて共鳴できるのだと思います。
そのときは、自分自身と「大いなる存在」はひとつだと感じるのです。
そんなすごい体験だってできるのに、人生のほとんどの時間を思考に支配されて、「さとり」の瞬間をなかったことにされているとしたら、とても、もったいないことですよね。
次回は、ウォルト・ディズニーのホロスコープ10室のお話を、次々回は「さとりを~」の続きのお話を予定しています。
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