こんにちは、リブラです。

今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。

 

第5章 「いまに在る」ってどんなこと?

第2節 「待つこと」のほんとうの意味

 

「いまに在る」状態は「待つこと」にたとえられます。

この場合の「待つこと」は、「いま」を「わずらわしい障害物」とみなしてそわそわ落ち着かない状態で「待つこと」とは違います。

 

「待つこと」は完全な意識の集中を要します。完全に目覚め、思考が静止していなければ、いつ起こるとも知れない「待っていたもの」を見過ごしてしまうのです。

精神が研ぎ澄まされた「いまに在る」状態なのです。細胞が、ひとつ残らず「いまに在る」のです。

 

この状態では過去と未来を背負った「わたし」は、ほとんど存在しません。その人本来の価値はみじんも損なわれず、本質は、そのまま生かされます。

 

イエスは「10人の乙女」のたとえ話で「待つこと」を表現しました。

 

5人のうかつな乙女はランプの油をきらしてしまい、花婿の訪れを見逃し、饗宴に行き損ねてしまいます。

一方、5人の賢い乙女はランプを灯し続けるのに十分な油を携えていたので、花婿を迎えることができ、一緒に饗宴に出かけることができました。

 

「ランプを灯し続ける」ことは、「いまに在り続ける」ことで、「油」は「意識」です。

「花婿」は「いま」、「饗宴」は「さとり」で、「うかつな乙女」は「無意識」を意味します。

 

「無意識」に惑わされて「いまに在り続ける」ための「意識」の集中をきらして、「いま」を見逃し「さとり」を得られない人と、「いまに在り続ける」ための「意識」の集中をして「待ち」、「いま」を見つけ「さとり」に到達する人をたとえる話です。

これは、「心理的時間」の終わりについての記述で、人類のエゴ的思考から、新たなステージへと移行し、意識を刷新して生きる可能性を示唆しているのです。とエックハルト・トール氏は言っています。

 

世界中に共通して存在するのが、「ヒーローズジャーニー(英雄の旅立ちと帰還)」の神話です。

これは少年が英雄になるまでの様々な試練を乗り越える物語で、ヒット映画の定番のストーリーです。スターウォーズもロードオブザリングもこれでした。

 

この神話の傾向から「大人になるための通過儀礼」を越えて、やっと人間社会で大人として認められると言ったのは、「神話の力」の著者ジョーゼフ・キャンベル氏です。

 

ネイティブアメリカンの成人の儀式には、怖いものと戦って勇気を試すものがほとんどです。その一方で、あまり取り上げられないのは、少女が一人前の女性として認められる通過儀礼です。これも神話やおとぎ話の世界に盛りだくさんに入っています。

 

少年は勇気を試されて英雄を目指しますが、少女は何を試され何を目指すのでしょうか?

 

少女は「信じて待つ」という通過儀礼があり、不可能を可能にする愛の力を持つ女神を目指すのです。

 

美しい王女を娶るために、夫候補が決闘する話や無理難題を結婚の条件に与えて求婚者たちをふるいにかけるお姫様の話は、たくさんあります。

花婿候補たちが命懸けの通過儀礼を受けている間、花嫁候補たちが何をしているかと言えば、愛する夫候補が危険な通過儀礼を乗り越えて、勇者になって迎えに来るのを「信じて待つ」のです。

花婿候補は、その信頼に応えようとするから、試練を乗り越えるための勇気が湧くのです。

 

男性には「恐怖」と闘う通過儀礼が課され、女性には「不安や疑い」と闘う通過儀礼が課されています。

 

今回のイエスのたとえ話にも、いつ訪れるのかわからない花婿をランプを灯して待っているのは、花嫁の役目です。花婿の訪れを信じることができれば、いくら待っても十分なランプの油を備えておいたことでしょう。

 

ところが、「花婿は訪れないのでは?」という疑念に苛まれていたとしたら、どうでしょうか?

大量のランプの油を準備すること自体、「それだけ膨大な時間を待つことになるかもしれない」とネガティブな気分を喚起させ、「待ったあげく花婿は訪れなかったら?」という不安もよぎってくるのです。

こうなると、1分待つのも苦痛になって来てしまいます。

 

きっと油をきらした「うかつな乙女」は、この不安に苛まれて「そんなにたくさんの時間は待ちたくない」という無意識の思いが働き、十分な油を用意しなかったのでしょう。

そして「賢い乙女」は「花婿の訪れ」が楽しみで、待つこと自体も喜びで、その思いが大量の油の備蓄となったのでしょう。

 

「待つことが苦痛なときは、その結果も苦痛」で「待つことが楽しいときは、その結果も喜ばしい」。

これは「いい気分はよい周波数を発振し、良い現象を共振させて連れ来る」という引き寄せの法則の原理ですよね。

 

「うかつな乙女」は「待つことが苦痛」。「賢い乙女」は「待つことが楽しい」。この違いはどこから来るのでしょうか?

実は、両者の違いは「未来の花婿」に意識が飛んでいるか、「いまこの瞬間の自分」に意識が向いているかの違いだけです。

 

「いま、ここ、この瞬間」に「心と身体と魂意識」とともにグラウンディングしていることが、最もパワフルになれて、森羅万象・万物のサポートを受けられる条件が整うのです。

そして、大いなる存在とつながっている感覚に安心するのです。

 

「うかつな乙女」がいくら意識を飛ばしても「未来の花婿の訪れ」を早めることも、「待つことの苦痛」を軽減することもできません。

でも、「賢い乙女」は「いま、ここ、この瞬間の自分」に意識が向いているので、自分の気持ちを良い方向に導くことは可能です。

 

他者の気持ちを自分に向けさせようとすると、絶望的な気分にしかなりません。

大いなる存在の愛=自由選択ですから、他者を思い通りにしようとする行為は、大いなる存在の愛を侵害することになってしまいます。

 

だから、自分の気持ちを良好に保ち、良い周波数で大いなる存在の愛とつながっている方が、ベストタイミングで「待っていたもの」が訪れます。

そして、そんな体験をすると、自分自身と大いなる存在のつながりの信頼も揺るがないものになっていき、不安の入り込む余地もなくなります。

次回は、ウォルト・ディズニーのホロスコープ9室のお話を、次々回は「さとりを~」の続きのお話を予定しています。

 

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