こんにちは、リブラです。

今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。

 

第4章 思考はいつも「いま」から逃げようとしている

第6節 どんな状況にいても「いま」「ここに」完全に「在ろう」

 

問い;「普通の無意識状態」の例を、もっと教えていただけませんか?

 

答え(エックハルト・トール);「普通の無意識状態」は、どれもみな「いま」に対する拒絶に結びついています。

 

自分がどこにいても「どこか別の場所にいられたらいいのに」と思うとき、「いま、ここ」はいつも不満だらけです。

「いま、ここ」が耐え難いならば、あなたには3つの選択肢があります。

・状況から身を引くこと。

・状況を変えること。

・状況を完全に受け入れること。

 

そして、自分の選択が導いた結果(責任)を受け入れ、ネガティブなもの(言い訳)をこしらえません。

行動をとろうするのを恐れが引き止めるときは、その恐れを観察しなさい。

 

もしも、「いま、ここ」の耐え難い状況を変えることも、身を引くこともままならないなら、心の抵抗を止め、「いま、ここ」を完全に受け入れてください。すると、自己憐憫に浸りたがる「にせの自分」は消えてしまいます。

 

行動をすべきだと知りながらしない選択をするなら、その時点での、「意気地のなさ」「怠惰」を完全に受け入れ、その状態に浸りきりなさい。それを存分に楽しみなさい。内面の葛藤、抵抗、ネガティブ性は存在しなくなるはずです。

 

ストレスは「いま、ここ」にいるのに「そこ」いたいと思うことや、「未来」にいたいと思って心の内面を真っ二つにしてしまうことで起こるのです。

いたくない「いま」と「イメージの中の未来」との間にギャップをつくると葛藤を生み、人生のクオリティを著しく損ねてしまうのです。

 

未来の目標を定め、その達成に向けてひたむきにがんばることに、なんの問題もありません。

問題はそれを、生きているという感覚、「在ること」の代用品にしてしまうところにあるのです。

 

わたしたちの内側の「大いなる存在」が計画した完全無欠の人生=「いま、この瞬間」に感謝することこそが、真の豊かさなのです。

「大いなる存在」につながっていないときには、わたしたちは「いま、この瞬間」という人生の豊かさを感じることができません。とエックハルト・トール氏は言っています。

 

「普通の無意識状態」とは、わたしたちが起きていながら「眠っている」状態を指す言葉のようですね。

 

いまの状態はよくないなあ、と思いながらもそれを変えることなく、それを止めることなく、それを受け入れることなく、なんとなく流されていくことは、日常茶飯事です。

よく考えてみれば、ほとんど「普通の無意識状態」で生きているのかもしれません。

 

これは思考回路が過去の記憶に基づく自動設定で、日常のくり返し作業を能率よく回してくれている証です。

心臓の鼓動がなんの指令も出さずに、規則正しく拍動してくれるシステムと同じです。

生命維持に関するシステムは、ほぼ全自動、24時間体制お任せで稼働してくれています。

完璧すぎて優秀すぎて、その乗り物の主人でさえ、何がどうなって生命を支えているのかわからないくらいです。

 

この完全な乗り物の主人に課させた任務は、選択し、指令を与えることだけです。

起きる?眠る?の選択で、起きる!と選択し、指令を出すと身体は起き上がり、次の指令を待ちます。

いちいち指令を待つのはもどかしいので、思考は過去のデータを元に安全に安定的な動作をパターン化して自動でやれるようにしていきます。

 

乗り物(身体)の方は、その方が早く動けますし、指令を出す主人は身体のシステムがよくわからないので、自動設定で動く方が都合がいいのです。

 

だから、主人の役目は、通常どおり(自動設定)にしたくないとき、行動を選択し、指令を出すだけになりました。

 

ここまでは、主人(わたしたちです!)にとっても、乗り物(身体)にとっても好都合です。しかし、ここから先が問題なのです。

この乗り物(身体)には、エゴ(生存本能)という運転手がついていて、本来は主人の指令どおりに人生というコースを運転することになっています。

 

エゴは身体の運転を任されているうちに、「他の指令もわたしに任せてくれた方が、この地球上ではうまく生きられます。わたしは生存本能ですから。何かあるときだけの、『いま、ここ、この瞬間』の指令だけ出してくれたらいいですよ」と、主人の指令を出す役割まで請け負ってしまうのです。

 

主人(わたしたちです!)は、エゴが乗り物(身体)と人生を乗っ取ろうと企んでいることも知らずに、「いま、ここ、この瞬間」以外のすべての指令をエゴ(運転手)に任せてしまうことになるのです。

 

これだと、主人はただ黙ってエゴ(運転手)選択のコースを眺めているだけで終わってしまいますよね?

たぶん、エゴ(運転手)は、主人が後部座席で居眠りをしてくれるのを望むでしょうから、どちらのコースを選択しますか?なんて尋ねはしないでしょう。

 

エゴ(生存本能)は、身体のシステムも地球上も社会のこともわかっていない主人(「大いなる存在」であることを忘れてしまったわたしたち)の指令なんて聞いていたら、生きていけないと思っているので、指令の権限のすべてを自分のものにしようと、虎視眈々と狙っているのです。

 

でも、人生はわたしたちが「大いなる存在」であるときに計画された完全無欠なものなのです。

わたしたちが人生で幸せを感じるためには、エゴに全自動で選択を委ねるのをやめなければいけません。

 

いまの状況を変えなければと思いつつ、変えられないのはエゴの自動設定に選択を任せきりだからです。

とりあえず、選択権は取り戻しましょう。

そして、うまくいっていない状況のとき、「いま、ここを観察せよ」とエゴに命じるのです。

 

「面倒くさい」とか、「先を急がないと、遅れてしまう」とか、「そんなことをしてもムダなだけ」とか、エゴは下僕らしくないことをつぶやくかもしれませんが、「うまくいっていない」ことが示す意味を知るのは、主人(わたしたち)だけなのです。過去のデータと人間社会の常識しか知らないエゴにはわからないことです。

 

「うまくいっていない」状況のときは、そこを観察して、主人が選択し指令すべき何かがあるというサインです。それを怠ると、「大いなる存在」であるころに計画した人生の見どころ感じどころを、逃してしまうことになるのです。というか、完全無欠な計画なので、エゴは何度も「うまくいかない」状況に迷い込み、見どころ・感じどころの名所に立ち止まるように追い込まれるのです。

 

そもそも、エゴ(運転手)と主人(「大いなる存在」の分霊のわたしたち)は、人生の見どころ・感じどころが違います。

エゴは生存本能なので、「安全」に「豊か」にできるだけ長く「生きる」ことを「幸せ」と思い、それが叶う条件が揃う場所が見どころで、それが得られる瞬間が感じどころだと思っているのです。

 

でも「大いなる存在」の分霊としてのわたしたちの見どころ・感じどころは、喜怒哀楽の感情がたくさん感じられるところで、わざと「うまくいかない状況」を設定していることさえあるのです。

エゴにお任せにしてしまうと、巧みにそこを避けて通ろうとします。

 

ただ、「大いなる存在」は完全無欠ゆえに、何度も同じ類の感情を味わう必要がありません。

1度ちゃんと味わうと同じ体験をくり返させることもないのです。

避けるより、しっかり観察して感じた方が苦しい状況は長引かないのです。

何度も同じ苦しみをくり返している場合、大切な選択をエゴ任せにしている可能性が大きいのです。

 

「普通の無意識状態」は、エゴに選択権を委ねてしまうことで知らないうちに起きているてことだと、気づいていただけたと思います。

 

「大いなる存在」の意図する豊かな人生を歩むには、自分の意思で意識的に選択し指令を出すことを避けてはいけません。

「創造主マインド」で選択し、指令を出すのを楽しんだとき、やっと自分の人生に起きていることがどんなに素晴らしいことなのかわるのです。

 

エゴに選択を移譲するとエゴの指令に従う「従者マインド」が身についてしまい、「大いなる存在」の意図した人生の素晴らしさは、まったくわからなくなってしまうのです。

そして、それに気がつくのは、エゴが必死に得ようとした形ある幸せがすべて剥ぎ取られ、エゴが降参するときなのです。

 

次回は、ウォルト・ディズニーのホロスコープ5室のお話を、次々回は「さとりを~」の続きのお話を予定しています。
 

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。