こんにちは、リブラです。

今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。

 

第3章 「いまに在る」生き方がさとりのカギ

第12節 「いまに在る」喜び

 

問い;あなたのおっしゃる、完全無欠のレベルに到達しても、なおわたしたちは、物質界のゴールを達成できるものなんですか?

 

答え;エックハルト・トール

もちろんです。ただし、その場合には、もう人や物が、未来に自分を救ってくれるだろう、幸福にしてくれるだろう、といった期待を抱くことはなくなります。

 

「人生の状況」という点からすると、獲得したいものはあるでしょう。

それは得ることと失うことで成り立っている物質的な世界の中のことです。

 

しかし、深いレベルでは、わたしたちはすでに完全無欠です。

そのことに気づいたとたん、自分以外の誰かになる必要もないので、ガツガツ目標を追い求めたりもしません。

また、失敗に対する恐怖心で、行動が抑制されることもありません。

 

アイデンティティ(自己同一性)を「大いなる存在」から引き出し、物事の結果に執着しないため、恐れを感じることがありません。

 

あらゆるものを貴び、同時に何にも執着しません。

形そのものは生まれ、滅びていきます。

しかし、形の根底にある「永遠のもの」をちゃんと認識しています。エックハルト・トール氏は言っています。

 

キバリオンの 「照応(投影)の法則」や「共振の法則」の意味を深く知ったとき、この世はなんて皮肉なパラドックスでできているんだろうと思いました。

 

もっとも、皮肉屋やあまのじゃくは人間だけの性質ですから、キバリオンの「照応(投影)の法則」や「共振の法則」が働くと、人間にだけ皮肉なパラドックスが展開されていくのでしょう。

 

(潜在意識を含め)心にあるものが、投影されて現象化されるのが「照応(投影)の法則」で、心が発振しているのと同じ周波数のものが共振して引き寄せられてくるのが、「共振の法則」ですから。

 

(潜在意識を含め)心にある最も強いものが「メンタリズムの法則」で現象化されるので、上記の質問者が「さとり」への取り組みを始めても、最初に体験するのは「物質界のゴール達成への渇望」なのでしょう。

 

「ほしい思い」が投影されてますます「ほしい状態」にする現象が起き、その現象化によってさらに「ほしい感情」が発振され、「ほしい感情」に翻弄される現実が引き寄せられてくるのです。

 

「物質界のゴールを達成したい」という願望の根底には、「物質界の制限(時間や経済の欠乏感)」がありますから、「物質界のゴール到達」の豊かなイメージと「物質界の制限」の欠乏のイメージの葛藤をつくり出します。

そして、どちらか強い方か、あるいは交互に「糾える縄のごとく」現象化してきます。

わたしたちが「ほしいもの」ほど手に入れられず、「どうでもいいもの」ほど簡単に手に入れられるのは、そんなしくみが働くからです。

 

この世はそんな見えないしくみが働いていると知ったのなら、攻略法は明らかですよね。

葛藤を統合し心が「方向性の違う2つの状態」を同時に望まないようにする。

つまり、「あまのじゃく」をやめることです。

 

言うの簡単ですが、これを実行するのはなかなか至難の技です。

わたしたちの集合意識の「恐れ」がしっかり現象化された物質界に身を置いているからです。

 

「五感で感じられる世界だけが確か」で、世間で「誰もが信じている常識が確実なこと」という思いにどっぷり浸かったまま、「望みのままに現象化する」=「物質界のゴール達成」は不可能なのです。

 

「アイデンティティ(自己同一性)を「大いなる存在」から引き出し、物事の結果に執着しないため、恐れを感じることがありません。」

とは、わたしたちは本来、「大いなる存在」の分霊であるので「望みのままに現象化できる存在」ということです。

「物事の結果に執着せず、恐れを感じることがない存在」だったのです。

わたしたちの魂意識は、ずっと最初からこの状態で「いま、この瞬間」もわたしたちひとりひとりに宿っています。

 

「完全無欠の存在」がこの物質界で「制限」という体験をするとしたら、「完全無欠の存在」であることを忘れてしまうしかありません。

 

この世は記憶を喪失した「完全無欠の存在」が、「自分らしさ(個性)」を手掛かりに何百回も人間の転生をくり返しながら、「完全無欠の自分」を思い出していく特別な場です。

そもそも「物質界のゴール達成」が目的ではないのです。

 

もちろん、「完全無欠な自分」を完全に思い出してしまえば、「物質界のゴール達成」もセットでついてきますが、「制限」を体験したくて次元降下した「完全無欠な存在」がそんなものをほしがるでしょうか?

望まないでしょう。

そのときは、地球での人間の転生を終わらせるときなのでしょう。

 

物質界の「制限」が過酷に感じられたら、「制限」がなくなることを望むより、「制限」をオーダーした自分(魂意識)に思いを向けてみましょう。

「わたし」が忘れてしまった「完全無欠なわたし」は、何を意図してこの過酷な「制限」をオーダーしたのだろうかと

 

その意図が透けて見えてくれば、「完全無欠な自分(魂意識)」の断片情報が薄皮を剥くように現れてきます。

物質界のハードな体験の舞台裏には、必ずそれを用意した「完全無欠な自分(魂意識)」のシナリオが隠されています。

 

ある程度人生を生きてそのパターンを実体験した人は、物質界の過酷な「制限」に嘆くより、「完全無欠な自分(魂意識)」の描く壮大なストーリーに魅せられて、生きるのがもっとおもしろくなってくると思います。

 

しかも「完全無欠な自分(魂意識)」は、時空の制限がない存在ですから、「物質界の制限」を受けないストーリーにすることだって可能です。

「物質界」のみならず、「意識界」・「精神世界」も制覇の存在です。

 

しかも「大いなる存在」のモットーは「自由選択」ですから、「物質界」だけのこだわりを手放せば、さらに変幻自在に「完全無欠な自分」の人生のストーリーを創っていくこともできるのです。

 

「物質界の制限」に苦しむストーリーもいいけれど、三世界変幻自在ストーリーはもっとおもしろそうです。

そんな心持ちで日常を生きると、「あまのじゃく」は居場所を失い、心から退散してくれます。
 

次回は、来月いて座入りする木星についてのお話を予定しています。
 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

詳しくはこちら をご覧ください。

 

新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、

キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。