こんにちは、リブラです。

今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。

 

第3章 「いまに在る」生き方がさとりのカギ

第10節 問題はすべて、思考がつくり出す妄想

 

問い;お話を聞いていたら、肩の荷が一気に降りました!

ただ・・・。いろいろな厄介事は、依然としてわたしを待ち受けているんです。

意識が高まったと言ったって、決して問題が消えてなくなったわけじゃありません。

これってただの一時しのぎじゃないんですか?

 

答え;エックハルト・トール

やれやれ。あなたはせっかく天国にいても、心の中で「うわーすごいや! いや、ちょっと待てよ・・・」なんて言い出すのでしょうね。

わたしは、問題を片付けることについて、どうこう言っているのではありません。

「問題なんて、はなっから存在しませんよ!」と言っているのです。

 

実際に存在するのは、「いま」取り組まれるべき「人生の状況」か、取り組めるようになるまでは、あるがまに受け入れるしかない「人生の状況」なのです。

 

「いま」に意識を集中させて、「いま、この瞬間」どんな問題があるか、挙げてみてください。

 

答えがありませんね。それでいいのです。

「いま」に完全に意識を集中していれば、問題を抱えることなんてできません。

 

どうしてわたしたちはなんでもかんでも問題にしてしまうのでしょう?

その理由は、思考が無意識のうちに問題を愛しているからです。

 

「問題を抱えている」ということ自体、意識が「人生の状況」にどっぷり浸かり、気づかないうちに、それが自分の一部になってしまっていることを意味します。

 

問題をこしらえるということは、痛みをこしらえることです。

わたしたちが取るべきステップは、簡単な決断をするだけです。

「わたしは二度と『状況』を問題に変えて、自分に痛みを与えない!」と決断することです。

 

自分に痛みを与えない人は、人にも痛みを与えることありません。

問題をこしらえるネガティブなエネルギーで、美しい地球、人間の集合意識を汚染することもなくなります。

 

わたしたちの言動、思考の大部分は、恐れが原動力になっています。

そして、未来に焦点を当て、「いま」から目をそらしていることが、恐れの原因です。

「いま」に問題が存在しないように、恐れも存在しません。

たとえ「いま」取り組まれるべき状況が持ち上がっても、「いま」にあるかぎり、行動は的を得たものになります。エックハルト・トール氏は言っています。

 

「問題」をこしらえるのも、「問題」と取り組むのも、「問題」に振り回されるのも、「問題」の原因を探るのも、すごくエネルギーが要ることです。

 

でも「問題」を解決しないと「危機が訪れる。たいへんだ!」と思考がつぶやき、感情は不安になり、身体は危機に備えて緊張するのです。

 

「備えあれば憂い無し」と言わんばかりに、頭の中では様々な「解決策」や「原因究明」が進められ、思考が何かつぶやく度に、感情は安心のための行動に身体を駆り立て、身体はそれを疑いもせずに貴重なエネルギーや時間を消費します。

 

ちょっと、ここで立ち止まって考えてみましょう。

もしも、これが「問題」ではなく「危機的状況」だったらどんなふうになるかを。

 

思考は直ちに「逃げるか、戦うか」の判断を下して、感情は恐怖か戦闘意欲かのどちらかの気分を盛り上げ、身体はその気分に乗せられて「危機的状況」から逃げるか、戦うかの行動を取るでしょう。

 

「危機的状況」ならば、思考と感情と身体が「いま、ここ、この瞬間」にできることに集中します。

この状況では、思考・感情・身体がひとつになって危機を乗り越えますから、指令を出した思考も、そのイメージを身体に伝えた感情も、即座に行動した身体も、全部が危機を救った主役です。

 

しかし、思考がつくり出す「問題」だったらどうでしょうか?

 

「問題」は思考の世界の中だけにあります。「いま、ここ」という時空間にはありません。

感情も思考から送られてくるメッセージ(未だ起きていない想定情報)を頼りに、想像だけでイメージを構成して身体に伝えなければなりません。

 

しかも、そのメッセージは「○○だったら、逃げて!」「△△だったら、戦って!」というもので、「逃げるイメージ」なのか、「戦うイメージ」なのか、どこから逃げるのか?何と戦うのか?未定です。

こんな曖昧なイメージ(妄想)を身体に伝えるのですから、身体はどうしていいのかわからず、ずっと臨戦態勢でいるしかありません。

 

思考は睡眠中は休息できますが、感情は夢の中でも怖れのイメージを発信し、身体はずっと臨戦態勢でいなければなりません。

つまり、眠っていてもエネルギーを消耗してしまうのです。

 

「問題」の場合は、すべては思考の中で展開し、感情や身体は下僕のようにそれに従うしかないのです。

仮に、思考が「問題は解決した!」と言ったところで、感情は見えない危機がいつ現れどのように解決されたのか理解できませんから、依然として不安は続きます。

 

身体の方も、感情が送って来る未来の不安のイメージを受信するのに、「いま、ここ」で行動するためのイメージはやって来ないので、臨戦態勢を解いてリラックスすることもできないのです。

 

思考が「問題だ!」とつぶやくと、結局、思考のひとり芝居で、ひとり主役で終わってしまうのです。

これが、思考(エゴ)の狙いです。「問題だ!」と言って、ひとり芝居を演じると感情も身体もそれに振り回され主導権を掌握できるのです。

 

「大いなる存在」と魂意識は「喜び」の周波数しかないので、思考の怖れの茶番劇に感情や身体が悲鳴をあげても、おもしろいものを眺めるようにじっと観察しているだけです。

(魂が最も注目したわたしの転生を見せてほしいとアカシックレコードにアクセスしたとき、最愛の人を亡くしアヘン中毒の奈落の底に落ちていくような人生を見せられました。アカシックレコードに入るときはニュートラルな状態なので、わたしはそれを見てもなんの感情も湧きませんでしたが、魂意識としてのわたしは興味深々で「これだから地球転生はおもしろい」と言っていました。

魂意識から見たら、エゴの手の込んだ茶番劇による悲惨な人生のひとり芝居に見えるのです)

 

「もう、ネガティブ思考に貴重なエネルギーや人生の時間を消費するのはたくさんだ」と思ったら、「わたしは二度と『状況』を問題に変えて、自分に痛みを与えない!」と心に誓いましょう。

 

そして、「状況」を「問題」に変えようとネガティブ思考がささやいても、「それは、いま、ここで、何か対処が可能なのか?ほんとうにいま優先して考えることなのか?それによって貴重な人生の時間を使ってもよいのか?」を問い直してみることです。

 

なんとなくネガティブ思考を続けていると、ネガティブな感情が苦しくて意識が「過去」や「未来」に彷徨い、「怖れ」の思考回路ばかり強化され、習慣になってしまい、明るく考えることがどんどん苦手になっていきます。

 

明るい可能性に満ちた思考は、明るい気分を感情に起こさせ、身体の免疫システムを強化し、健康に役立ちます。そして、魂意識と「喜び」の共鳴をして「大いなる存在」とつながり、「喜び」の具現化を起こします。

 

ネガティブ思考で暗い気分で暗い具現化を起こし、魂意識と「大いなる存在」におもしろがってもらうのもいいですが、明るい思考と明るい気分で魂意識と共鳴し、「大いなる存在」と喜びの現実をシェアする方が人生の感動が大きいと思います。

わたしたち人類は、いつでもどちらかを選べるように自由選択(大いなる存在の無条件の愛)が与えられています。

 

次回は、うお座土星のエドガー・ケーシーの11室のリーディングを予定しています。
 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、

キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。