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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
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こんにちは、リブラです。
今回は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の解説の続きです。
第3章 「いまに在る」生き方がさとりのカギ
第4節 魂のレベルに到達するコツ
古来よりたくさんの宗教の指導者たちは、さとりをひらくカギは「いま」であると指摘してきました。
禅の真髄は、「『いま』という名の、カミソリの刃の上を歩くこと」に凝縮されます。
時間のない「いまに在る」と、問題はすべて溶けてなくなります。
苦しみが存在するには、時間が必要なのです。
苦しみは「いま」の中で生きのびることはできません。
偉大な禅僧の臨済は、弟子たちが時間にとらわれていると、指を挙げてゆっくりとこう尋ねたものでした。
「『いま、この瞬間』に、いったいなにが欠けていよう?」
頭で考えることができない、このダイナミックな質問は、相手のの注意をことごとく「いま」に引きつけることを意図したものです。
スーフィズムの指導者であり、詩人のルーミーは、こう呼びかけています。
「過去と未来は、神を覆い隠して、わたしたちの目をくらます。過去と未来は炎で燃やしつくそう」
13世紀のドイツの神学者、マイスター・エックハルトは次のように表現しました。
「時間は、わたしたちから光をさえぎる。『神の道』を歩む上で最大の障害は時間である」とエックハルト・トール氏はこの章に書いています。
「いま、この瞬間」の大切さが禅僧からスーフィーから神学者にいたるまで連呼されているということは、「大いなる存在(神、創造主、ソースエナジー)」とつながる点は、ここにある!と気づかれたと思います。
ほんとうは神社やパワースポットに行かなくても、「いま、この瞬間に在ること」ができていれば、「大いなる存在」とひとつであることを、いつでも思い出せるのです。
また、わたしたち人類が「いま、この瞬間」を疎かにしてしまう理由も、薄々気づているのじゃないかと思います。
わたしたちが「大いなる存在」との接点である「いま、この瞬間」を忘れて蔑ろにしてしまうのは、忘れっぽいからなのではありません。思考・感情を巧みに操るエゴの仕業なのです。
「いま、この瞬間」は、わたしたち(魂意識)が「大いなる存在」とコンタクトできる神聖な接点なので、下僕であるエゴが罠を仕掛けるのが難しい聖域です。
「いま、この瞬間」では、エゴはわたしたちの意識の一部の生存本能として存在することしかできません。
「大いなる存在」とわたしたち(魂意識)との純粋なコンタクトに介入することはできないのです。
だからエゴは「いま、この瞬間」を蔑ろにし、未来や過去にわたしたちの意識を向けさせようと、毎秒虎視眈々と狙っているのです。
この章でも言われているように、時間の罠によってわたしたち(魂意識)は「いま、この瞬間」という神聖なテリトリーから追い出され、エゴのテリトリーである思考の中の「未来」や「過去」に連れ込まれ、主導権を奪われてしまうのです(魂意識という見えない・感じられないものは、存在しないことにされてしまいます)。
わたしたち人類が、つい、「いま、この瞬間」の大切さを忘れてしまうのは、エゴの仕業だったと覚えておきましょう。
このカラクリを覚えておけば、「未来」のことを考えて不安になったり、「過去」の苦しみを理由に制限をかけることが、エゴのフィルターを通した世界に連れ込まれた影響だとわかるはずです。
別に「未来」や「過去」のことに意識を向けることがいけないわけではありません。
ただ、「未来」や「過去」に意識を向けるときは、エゴのテリトリーにいることを認識しないと罠にはまります。
「いま、この瞬間」がどうでもいいものに思えてきて、「いま、この瞬間」に目の前にあるものに価値を置かず、
「いま、この瞬間」に手にしている恵みに感謝することもできなくなってしまうのです。
そして「大いなる存在」とひとつであることも、「大いなる存在」の分霊がわたしたち(魂意識)であることも、想像さえつかなくなってきます。
この状態になるとエゴを自分だと思い、エゴの囁きにしか耳を傾けなくなります。
エゴが主導権を握ると思考と感情を操って、「恐れ」をムチに、「安心」をアメに使って人生を支配します。
エゴにとって「時間」や「お金」は、「恐れ」や「安心」で思考・感情を翻弄するために都合いいアイテムなのです。
「思考」や「感情」は、本来誰のための機能なのでしょうか?
わたしたち(魂意識)が物質界で豊かに生きるため、「思考」はテクノロジーを生み出します。
「感情」はわたしたち(魂意識)に、共感や喜びの振動で物質界を生きることの感動や幸せを伝えてくれます。
エゴのために備わった機能ではありません。
「時間」や「お金」は、元々何のために生まれのかを思い出してみましょう。
「時間」は限りある命の中で生きる物質界共通の約束事です。
ほんとうは、限りある命であるからこそ、「いま、この瞬間」が大切なのだと気づかせるための「時間」です。
「お金」は、この世の万物の物流を豊かに循環させるための便利なシステムです。
「時間」も「お金」も元々は、人間の生活を有意義に豊かにするために生まれた道具だったはずです。
エゴが「恐れ」や「安心」を演出するための小道具ではありません。
エゴに主導権を渡して、「未来」や「過去」に意識を飛ばす理由に「時間」や「お金」を使ってしてしまうと、人類を豊かに幸せにするはずの道具が、人生を蹂躙して制限でがんじがらめにする道具に変貌してしまうのです。
こうしてみると、問題は「思考」や「感情」というより、「時間」や「お金」の制限というより、エゴに主導権を渡してしまうことにあるとわかってきます。
「時間」や「お金」の制限で心を乱している自分がいるとしたら、ネガティブな「思考」や「感情」に囚われて苦しむ自分がいるとしたら、その問題の根本は、主人(魂意識)が下僕(エゴ)に乗っ取られていることにあるのです。
心の中でクーデターが起きて、本来主導権を握ってはいけないエゴが主人を装っているのです。
エゴは物質界のことしか理解できません。生存本能からできあがった意識ですから、「安心・安全に生き残ること」=「幸せ」だと信じて疑いません。
しかし、わたしたちの本質は魂意識ですから、物質界で「安心・安全に生き残る」だけの幸せでは満足できません。
いくら安心で安全で豊かで健康であっても「なにか足りない虚しさ」がついて回ります。
そして、エゴもほんとうの幸せを感じられず「何か足りない虚しさ」に苛まれるのです。
あれがあったなら幸せ、これが果たせればぜ幸せ、と「いま」を犠牲にして「未来」を追いかけたあげく手にしてみれば、「なんでこれが欲しかったのだろう?幸せってこの程度もの?」と肩透かしを体験することも珍しくありません。
心の中のクーデターを終結させ、わたしたち(魂意識)が主導権を取り戻さないことには、心の平安も真の幸せも訪れません。
人間の一生は本来、わたしたち(魂意識)が主人でエゴはそれに従う下僕という形で設定されていますから。
エゴ(下僕)も主人なしでは、物質界・意識界・精神世界に同時存在する人間の真の幸せに至る道を見つけられないのです。
だから、「時間」や「お金」の制限や「未来」や「過去」へのネガティブな「思考」・「感情」が浮上したら、エゴが乗っ取りを企んでいると疑ってみましょう。
そして、速やかに「いま、この瞬間に在る」ことに集中するのです。
「いま、この瞬間」に在るとき、「恐れ」や「焦り」や「不安」が薄れてきたら、それはエゴが演出した幻想だった気づくでしょう。
「いま、この瞬間」に在るときは、「大いなる存在」と魂意識でつながっていますので、恐れはありません。平安な気持ちで「未来」や「過去」への適切な対策が浮かんでくるはずです。
「いま、この瞬間」にできることが、降りてきます。
「いま、この瞬間」に在るときに、「大いなる存在」とひとつになり、心の平安を保った状態で「未来」や「過去」を見てみれば、いまも、過去もずっと守られてきたことに気がついて、「未来」も守られていることを確信することができるのです。
「いま、この瞬間」は「恐れ」が入り込む余地のない、「大いなる存在」との接点ですから。
眠りにつく前、毎日「いま、この瞬間」を感じて目を閉じれば、「大いなる存在」とひとつになっている自分(魂意識)を、安らかな感覚と共に思い出すことでしょう。
次回は、うお座土星のエドガー・ケーシーの7室のリーディングを予定しています。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
