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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
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こんにちは、リブラです。
今回も「さとりを人生はシンプルで楽になる」の解説です。
第1章 思考は<ほんとうの自分>ではありません
第4節 感情の正体は、思考活動が身体に反映されたもの
問い12 では、「愛」や「喜び」などのポジティブな感情の場合は、いかがですか?
こういった感情は、もちろん自分にとってプラスになりますよね?
答え:エックハルト・トール
「愛」や「喜び」は、「大いなる存在」とつながっているときのわたしたちには欠かせない、心の状態です。
思考活動が止まり、「心が空っぽ」のときには、いつでも「愛」や「喜び」、そして「心の平安」を、瞬間的に体験します。
わたしは、いま表現した「愛」「喜び」「平和」を、感情とは呼びません。
これらは、感情より、さらに奥深い場所から湧き出、感情を超えているからです。
「愛」「喜び」「平和」は、「いまに在る」ことができて、はじめて経験できるものです。
「大いなる存在」とつながっている状態の三本の柱とさえ言えます。
さとりをひらいていない人が経験する「喜びのようなもの」は、永遠にうつり変わる「痛み-快楽」サイクルのうちの、つかのまの「快楽」であることがほとんどです。
「喜び」は、自分の内面から湧き出るものですが、「快楽」は、外側からもたらされます。
みなさんがよく「愛」と呼んでいるいるものも、最初のうちはときめくような楽しいものかもしれませんが、その正体は、中毒症状に似た、相手へのしがみつきです。
スイッチひとつで逆の状況へと一転します。
「愛-憎しみ」または「優しさ-攻撃」のはざまを行ったり来たりするだけです。
「ほんとうの愛」は、わたしたちに痛みを与えたりしません。
「ほんとうの愛」は、突然、憎しみに姿を変えたりしません。
中毒的な人間関係の中でも、普段とは違うなにか、本物のなにかを感じたことはありませんか?
思考が「あれはただの幻だったんだよ」と、わたしたちを説き伏せるかもしれません。
しかし、ごく稀に経験する「ほんとうの愛」は幻ではないのです。
あつい雲に覆われていても、それは太陽が消えてしまったわけではなく、雲の向こう側に、ちゃんと存在するのと同じことです。とエックハルト・トール氏は言っています。
「愛」と「愛のようなもの」、「喜び」と「喜びのようなもの(快楽)」の区別は難しいです。
わたしたちが身体で感受するときは、同じ感覚ですから。
区別する必要もないから、同じように感じるのかもしれません。
エックハルト氏はここで質問に正確に答えるために、「愛」「喜び」=「内側か湧き上がるもの」と、「愛のようなもの」「喜びのようなもの(快楽)」=「外側からもたらされるもの」との違いを定義付けていますが、「愛のようなもの」でつながった中毒的な関係の中にも「ほんとうの愛」が見出されることが稀にある、と言っています。
わたしたちは思考(エゴ)に主導権を握られていない瞬間は、<ほんとうの自分>でいられます。
<ほんとうの自分(魂意識>は「大いなる存在」と一体ですから、「愛」や「喜び」の周波数しか放射できません。
この状態ならば、「外側からもたらされるもの」に「愛」や「喜び」を感じても、依存や中毒はしません。
「大いなる存在」と一体感を感じながら、「怖れ」や「悲しみ」や「憎しみ」の感情に浸るのは不可能なのです。
「愛」が「憎しみ」に変わり、「怒り」をぶつけ合う関係になったとしても、瞬間的に客観視点を取り戻して互いが魂意識で共感することだってあるのです。
「この瞬間」に交流するのは「ほんとうの愛」です。
「思考(エゴ)」の雑音に邪魔されて、過去の言動や今の態度を見比べて、「ほんとうの愛」の瞬間にまで疑念を持ってしまうとき、「ほんとうの愛・喜び」は遠のいて行ってしまいます。
その状態ではエゴの「怖れ」の周波数と手をつないでいるのですから、「大いなる存在」の「愛や喜び」と共鳴することはできません。ニセモノの「愛」や「喜び」を追って一喜一憂するゲームを楽しむしかありません。
「思考(エゴ)」が「愛」や「喜び」に期待や要求や疑念を忍び込ませないように、「いま、ここ、この瞬間」で感じる自分自身の感覚を尊重しましょう。
わたしたちは誰でも、期待や要求や疑念なしに「無心」に「無条件」に「愛」や「喜び」を感じた経験があるはずです。そのとき、どんな感じがしたか思い出してみましょう。
厳しい冬が終わり、春の陽を浴びるとき、どんな感じがするでしょうか?
一斉に咲き始めた色とりどりの花々や緑の草や樹木を見て、どんな感じがするでしょうか?
喉がカラカラに渇いたとき、溢れるほどの清涼な水を存分に飲めるとき、どんな感じがするでしょうか?
「無心」でその瞬間を感じるときは、自然界の豊かさや無条件の「愛」や「喜び」や「安らぎ」を感じるでしょう。
そこには期待も要求も疑念もないので、「大いなる存在(創造主)」と共に創造物を味わう「喜び」しか感じられないはずです。
そういう「愛」や「喜び」には、依存も中毒はなく、もっと欲しいという欠乏感や焦燥感とも無縁です。
わたしたちは「ほんとうの愛や喜び」も「中毒性の愛や喜び」も、どちらも経験してわかっているのです。
だから、「これはほんとうの愛?喜び?」と思考(エゴ)に尋ねてニセモノの「愛」や「喜び」に誘導されないように、自身の「いま、ここ、この瞬間」で「大いなる存在」と共にいる安らかな感覚を信頼しましょう。
その感覚こそ、<ほんとうの自分(魂)>の感じている真実なのです。
次回もこの続き、「苦しみの生まれる元」について解説します。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
