こんにちは、リブラです。

今回も「さとりを人生はシンプルで楽になる」の解説です。

 

第1章 思考は<ほんとうの自分>ではありません

第4節 感情の正体は、思考活動が身体に反映されたもの

問い11: では、感情を観察するのは、思考を観察するのと同じくらい大切なんですね?

 

答え:エックハルト・トール

そのとおりです。「いま、この瞬間、わたしの心で、なにが起こっているのだろう?」こう自問する習慣をつけましょう。この質問があなたを適切な方向へ導いてくれるはずです。

ただし、内面で起こっていることをあれこれ分析しないでください。観察するだけです。

感情に意識を集中させるのです。

もし感情が見つからないなら、身体の内側のもっと深いところを意識しましょう。

そこが「大いなる存在」の入口なのです。

 

どんな感情もみんな、名前のない、「ある原始的な感情」のバリエーションのひとつなんです。

「ある感情」とは、「自分がいったい誰なのか、わからない」という認識の欠如が原因です。

この感情にぴったりくる表現が、なかなか見当たりません。

「恐れ」は、かなり近いもの(表現)ですが、「わたしは不完全である」という根強い感覚を伴う点がしっくりきません。

 

この感情は名づけられない感情と割り切って、シンプルに「痛み」と呼んでしまうのが、妥当であると思います。

 

思考の主な仕事は、感情的な「痛み」と闘い、それを取り除くことです。

これが、思考が休む暇なく活動している理由のひとつです。

皮肉なことに、思考が「痛み」を取り除こうと奮闘すればするほど、傷口は広がる一方です。

 

なぜでしょう?

実を言うと、思考そのものが「痛み」をこしらえている「張本人」だからです。

思考(エゴ)とひとつになり、それを「ほんとうの自分」だと思い込むのをやめない限り、「痛み」から解放されることはありません。

 

それさえしなければ、思考は権力の座から追放され、「大いなる存在」が「わたしの本質」として姿を表します。とエックハルト・トール氏は言っています。

 

思考(エゴ)が感情の「痛み」の素(原因)を作り出す感情は「痛み」で悲鳴をあげ、何とかして!と訴える思考(エゴ)があれこれと考えて対応に追われるが、その間も「感情の痛み」は持続する思考(エゴ)が絶望的未来(痛みは除けない)を考え始めると、「痛み」と「恐れ」のデュエットが感情に襲いかかって、ネガティブ感情の周波数を持続的に発信する不幸な現実化を引き寄せるスパイラルを作ってしまう・・・。

 

客観的にこの流れを見てみれば、思考(エゴ)の自作自演のトリックに引っかかって、感情が踊らされ、「不幸な現実化」へ導かれているのがわかります

ただし、この客観視は魂意識の視点ではじめて得られる眺めであって、<思考=ほんとうの自分>と信じて思考に全権を委ねている場合は、エゴの脚本の中で見せかけの「喜びと恐れ」のワルツを感情の激流に巻き込まれ踊っているのに気づきません。

 

だからそんな状態真っ只中の人は、自分の(ネガティブな)思考が止められないとか、感情はどうすることもできないものとか言って、1番シンプルな解決法(「いま、この瞬間、わたしの心で、なにが起こっているのだろう?」と自問することには見向きもしません。

 

「感情の痛み」は一過性です(神経伝達物質の分泌されている間だけです)。

しかもくり返しの「感情の痛み」には耐性ができて、タフになっていきます。

 

「感情の激しい痛み」が持続するのは、そこに思考(エゴ)が参加して問題を複雑にし、次々新しい「痛み」の種を蒔き、恐怖を煽るからです。

 

思考(エゴ)もある意味、必死なのです。

<思考の主な仕事は、感情的な「痛み」と闘い、それを取り除くこと>ですから。

いつも「問題」を抱えていないと「お仕事で活躍している」ように見えず、存在意義がなくなり主導権を魂意識に返還しなければなりません。

魂意識(ほんとうの自分)が主導権を握るのが本来の在り方であり、エゴにとっても幸せな人生への近道なのですが。

エゴは自分が主導権を持っていた過去の記憶・経験の範疇でしか、現在も未来も見ないので、魂意識(ほんとうの自分)に主導権を委ねることが恐ろしくてできないのです。


魂意識が主導のとき(いま、この瞬間にいて、思考にも感情にも囚われていない自分であるとき)、外からもたらされたアクシデントで感情が「痛み」を訴えたなら、思考(エゴ)はその「痛み」を癒すようなアイディアを提案することもできるのです。

 

たとえば、長年、家族のように一緒に暮らしてきたペットがなくなって、愛するものを失う「痛み」で「感情」が悲鳴をあげるときには、「一緒に楽しい時間をいっぱい過ごしたよね。あの子にとってわたしは最高の家族だったよ。だからあの子は幸せにペットとしての転生を卒業できたんだ。次にほんとうの人間の家族として生まれるために旅立って行ったんだよ」と、魂意識の俯瞰視点を思考(エゴ)が通訳する形で、言葉に降ろし、感情を癒すことだってできるのです。

 

見えないもの、過去の経験にないものは信じない思考(エゴ)だとしたら、こんな癒しの言葉で感情をなだめることはできません。

きっと、感情が喪失感で悲鳴をあげる度に「あの子がいなければ・・・、あの子じゃないとダメなの。もう、立ち直れない」と終わりのない考えばかりを、グルグルと続けて悲しみを長引かせてしまうことでしょう。

 

魂意識(ほんとうの自分)は、この物質界に「感情」を味わいに来ていますから、わたしたちの人生は様々な感情に彩られる設定がなされています。

本来は、どんな「感情」にさらされても、思考(エゴ)の切り替えひとつで立ち直り、「感情」の冒険に繰り出せるようにわたしたちの身体は創られているはずです。

 

実際、感情を左右させる神経伝達物質(ノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミン、βエンドルフィンなど)は、長く大量に分泌されることはなく、分泌してもすぐに分解され、長く反応を持続しないしくみになっています。

 

喜びも悲しみも怒りも楽しみの興奮も、いろいろ取り混ぜて経験し、人生を彩り豊かにするような工夫が施された身体にわたしたち(魂意識)は宿って、人間の転生を味わっているのです。

 

悲しみの感情も怒りの感情も魂意識は大喜びで観察しています。

ですから、苦しい感情に疲れたら、「思考」(エゴ)のささやきを無視して、「もう、この感情は味わい尽くしたからいらない」宣言を自分にしましょう。

「いらない」と宣言したら、その思いや考えが浮上する度に主導権の座から引きずり下ろして、

「いま、この瞬間、わたしの心で、なにが起こっているのだろう?」こう自問する習慣をつけましょう。

 

次回もこの続き、「ポジティブな感情」について解説します。

 

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。