サラとソロモン―少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣/エスター ヒックス
¥1,944
Amazon.co.jp


こんにちは、リブラです。

今回は19章についてのお話です。


魔法のような出来事》



「サラとソロモン」19章

あらすじ;サラは最悪な状況でも<心の扉>を開いていれば、自分の

気分は自分の考えで切り替えられ、いやな気分からいい気分になるこ

とで「いい現実」が吸引共鳴されることを身を持って体験しました。

お母さんの具合がサラの気分の切り替えで良くなったことを喜んでい

と、今度は学校でも「魔法のような出来事」が起きました。


授業中白昼夢に浸るサラを、わざと当ててはみんなの笑いものにさ

イヤミをいっていたジョーゲン先生が、宿題の紙に「よくできたね、

サラ君。100点」と書き、ウインクして手渡したのでした。


サラはジョーゲン先生の変化に驚き、大喜びでソロモンに伝えました。

「ずっと、ニコニコしてるし、授業が終わるベルの前に口笛吹いたりす

るし、面白い話をして生徒たちを笑わせるの。

先生は、前はそんなことしたこともなかったのに。

先生は前よりずっと幸せそうに見える」

「なるほど、サラ。

君の先生は君の<喜びの流れ>につながったみたいだね」


「ソロモン、わたしが先生を幸せにしてあげたって、言うの?」

「いや、君のせいでそうなったわけではないんだ。

先生が幸せになりたいということを思い出させるのを、君が手伝って

あげたことになるんだ。

先生はそもそもなぜ教職につきたいと思ったのかを、君が思い出させ

たんだ」


「わたし、そんなこと先生に話したことないのに、どうやって?」

「君が先生を『味わい愛でる(真価を認める)こと 』によって。

君が人々に注意を向け『味わい愛でる気持ち』を感じるときは

いつでも、その人々や物事の<本來の良いあり方>を増加

させるんだ


わたしたちに宿る魂は、わたしたちが怒っているときも、悲しんで

いるときも、苦痛で顔を歪ませているときも、ずっと「喜びを放射」

しているそうです。


なぜなら魂は、大いなる源(神、ソース)と同質で完全だからです。

完全な大いなる源がこの世も、わたしたち人間も、祝福して創造

したのです。

ですから、大いなる源の視点から見たらこの世に必要ないものは

なく、不完全なものもないのです。


この世の被造物を見て、これは不完全だ、劣っている、悪だ、未熟だ、

存在価値なし・・・とジャッジしているのは、わたしたち人間だけです。

ジャッジをしてしまうから、良いジャッジをしたものだけは「味わい愛

る(真価を認める)」けれど、悪いジャッジを下したものにそれがで

きなくなってしまうのです。


サラもジョーゲン先生から「くだらない考えで時間を無駄にしないで、

君の空っぽの頭に何か入れてみるように努力したまえ」と言われた

ときは先生が大嫌いになりました。

サラの中では「自分のつまらない授業を棚にあげ、生徒にイヤミを言

ういやな先生」がジョーゲン先生で、とても「味わい愛でる」対象では

ありませんでした。

でも、夢の中で空を飛ぶ体験をしたとき、夜遅くまで生徒の作文を読

んでは、微笑んで丁寧にコメントを書いている先生の別の側面を見

つけ、サラはそれを「味わい愛でること」で素晴らしい感動を体験

したのでした。


「この人は○○だから」と決めつけレッテルを貼りジャッジを下すと、

わたしたちはもう、その人に対して「味わい愛でる(真価を認める)」

機会を失うのです。

そして、その人はずっと「○○の人」をジャッジした本人の前でやり

続けるしかないのです。

別な良い側面をもっていたとしても、それは見てもらえないから変る

チャンスも与えられないのです。


今回のソロモンが言った「君が人々に注意を向け『味わい愛でる(

真価を認める)気持ちを感じるとき』はいつでも、その人々の<良い

本來のあり方>を増加させるんだとは、


完全な大いなる源が、祝福して創造した<良い本來のあり方>を、

エゴが貼り付けたレッテルやジャッジを剥がして、純粋な気持ちで

見つめることです。

簡単にいうと、先入感や固定観念、過去の記憶を手放し、ニュート

ラルな状態で、瞬間瞬間のその人本來の良いあり方を探すのです

そしてそれを「味わい愛でる」のです。


すると「美女と野獣」のお話のように、魔法をかけられ邪悪な野獣

に姿を変えられた心の冷たい王子に、ほんの少しだけあった暖か

心を見つけ、野獣の死に涙を流す美女のおかげで魔法が解け

る・・・ということがほんとうに起きてしまうのです。


「ホ・オポノポノ」(「愛してます・ゆるしてください・ごめんなさい・あり

とう」の4つの言葉のどれかを使って、その人に貼り付けたいやな

憶を消去するクリーニングメソッド)を実践されたことのある人は、

これはおとぎの世界だけの魔法ではないことを実感されていると思

ます。


わたしも「ホ・オポノポノ」を知ったばかりのときは、片っ端からやって

みて翌日その記憶のイレーズをした人たちの様子を見て、驚いた

ものです。

「いやな人」を「いやだ!いやだ!」と言い続けていると、ずっとその

人から予想通り(ある意味注文通りに)いやな目に会わされますが、

「いやな人」の「いやな記憶」に「ありがとう」という言葉で中和する

と、翌日(大抵、クリーニングされた人の表情は、理由もなくニコニコ

しています)は、機嫌のいい人になっています。

機嫌がいいと、だいたい人をいやな目に合わせようというところに

考えや行動が向かわないようです。

わたしはその変化を喜ぶというより、面白がって密かに実験していた

感じです。(そのうち、実験対象がいなくなってしまったのでやらなく

なってしまいましたが・・・。)


きっと「ホ・オポノポノ」の4つの言葉でクリーニングすると、余計なも

のが剥がれ落ち、大いなる源が祝福して創造したときのありのまま

の輝きを取り戻すのだと思います。

わたしたちの場合だと、本質は魂の方なので「ずっと喜びを放射し

ている」状態がありのままなんでしょうね。


次回もこの続き、「魔法のような出来事②」についてのお話を予定

しています。


わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみを

ホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題に

セルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

詳しくは、こちら をご覧ください。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。