バシャール2006―バシャールが語る魂のブループリント/ダリル・アンカ
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こんにちは、リブラです。

今回は「チャレンジに息切れしたとき」のためのバシャールの瞑想の

言葉についてのお話です。


《チャレンジに息切れしたとき》


質問者(女性)

「チャレンジに息切れしたとき、どんなふうに打破すればいいのでしょうか」


バシャール

「そんなときは、ただ自分に休みをあげてください。

それは『行こうと思っていた方向とちょっと違うけれど、これならできる

ということをしてみる必要がある』というサインです。



バシャールの瞑想

<喜びを与えてくれる〝脇道〟を進むとは?>


あなたは森の中を歩いています。

丘を越え、谷を下って行きます。

あなたが情熱を感じる目的地は、森の奥深いところにある魔法のお寺

です。

そこには素晴らしい財宝があるのです。

ですから、あなたは早くたどり着こうと、何日も何日もひたすら、ただただ

歩き続けています。



すると、美しい小さな池がありました。

池の横には、美しい小さな石のベンチがあります。



あなたは言います。

『ああ、まったく歩き疲れた。でも、まだまだ道は遠い。

休んでいる時間はない。

こんなところでとまってはいけないんだ。

あの美しい財宝があるお寺に、できるだけ早くたどり着かなければなら

んだから。

池のそばでベンチに座って、ひんやりした水に足をつけている時間なん

てとてもない』



あなたは池のまわりの道を歩いて、さらに歩き続けます。

丘を登り、谷を越えていきます。

歩いて、歩いて、歩いて・・・・・・

あなたは本当に疲れてしまいます。



とうとうあなたは疲れきって、道を這いながら進みます。

膝からも手からも血が出てきます。

けれども、遠くにはお寺が見えます。

日の光を浴びて、キラキラ輝いているお寺が森の中に見えています。


それで、あなたはさらに、ただただ進み続けます。

いまやあなたの足は疲れきって、まったく進めません。

あなたは今度は腕の力だけで進もうとします。


どんどんどんどんお寺に近づきます。


体を震わせ、血みどろになりながら、とうとうお寺の入口にたどり

着きました。

あなたは残っている力を振り絞って、お寺の扉への道を進んで

いきます。


そして、扉を開けて、お寺の中に入ろうとします。

ところが、扉は開きません。

ふと見ると、扉に小さな標識がついていて何か書かれています。


『寺の中に入り、宝を手に入れたい者へ。

扉を開けるには鍵が必要。池まで戻れ』


あなたは時間をとってベンチに座り、足を冷やせばよかったのです。

そして、足もとにある鍵を見つけて、持っていけばよかったのです」


わたしちは手に入れたいもの、向かうべき目標が見つかると、ひたすら

そこに向かうことしか考えなくなります。

早くそれを獲得すること、成し遂げることしか頭に浮かばなくなってし

まうのです。


そして、良いもの、欲しいもの、目的にたどり着くまでの道のりは、

「遠くて険しく辛いもの」という観念をもってしまうのです。

早くたどり着こうとするのも、その「遠くて険しくて辛いもの」である道

をできるだけ短い時間で突破したいと思うからです。


昔勤務していた病院に、とても背が高く筋肉質だけど太ったドクター

がいました。

ハードなスポーツも若い頃やっていたそうで、けして動くのが嫌いで

太ってしまったのではなく、食べることへの執着が原因と本人はいって

ました。

でも精神力が強靭だから痩せようと思えば、1ヶ月に10キロ軽く落とせ

ると豪語してました。

あるとき、「いまダイエット中で野菜しか食べていない。ダイエットは苦し

いから短期間で終わられせるに限る」といって、ほんとうに10キロダイ

エットをほぼ1ヶ月で成し遂げてしまったのです。

それでどうなったかといいますと、その後すぐに元の体重に戻り、さらに

太ってリバウンドして痩せにくい体質になっていったのです。

体の方としても、突然食べ物が供給されなくなったりするわけですから、

食べられるときにはたくさん食べてたくさん体に栄養を貯蓄しようと働き

ますよね。


ダイエットを成功させるには、ダイエットを完了させることを目標にしては

いけないのです。

体重を落とすことを目的にするのではなく、ダイエットに対する観念を

「苦しいもの」から「ずっと続けてもいいくらい楽しいもの」に変えなけれ

ば、落とした体重を維持し続けるのは難しいのです。


普段は忘れていた野菜の素材の旨味や、低カロリー料理の研究などを

楽しみ、食べものが溢れた世界であえて空腹でいるストイックな快感を

感じたりしながらゴールに向かうと、体と二人三脚で行う競技に参加して

る気分で楽しめます。


「チャレンジに息切れするとき」というのは、「チャレンジのプロセスを楽

しんでいませんよ」という警告のサインなのです。


魂はぶら下げた人参のような「素敵な未来」へのゴールよりも、そこに

至るプロセスの中での体験を重視しているように思います。

だから、ワクワクするような「目的」をチラつかせてわたしたちをチャレン

ジ駆り立て、いつもだったらけして選択しないような険しい道へと誘い

出すのです。


ここでエゴは、「ほら、ワクワクする方なんか選択するからこんな辛い

目に合うんだ。こんなこと早く終わらせるためにちょっと無理してでも

前に進むんだ。現実は甘くない。努力と頑張りだけがゴールへの距離

を縮めてくれる!」と叱咤激励して、休むことを許しません。


でも、ほんのちょっとエゴの囁きに耳を塞ぎ、魂のワクワクを感じてみて

ください。

わたしたちが楽しいイベントを計画したり、大好きな人に再会するとき、

そのプロセスまでもをワクワクして過ごすではありませんか?


チャレンジも同じなのです。

単なる楽しみとワケが違うのは、そこに「自分の枠を超える」という

要素が入ってくることです。

「自分の枠を超える」とは、「いまの自分以上の自分に成長する」という

ことです。

だからいまの自分の力以上のことを要求されるので苦しさは感じます

が、「新しい自分」を見出す瞬間でもあるのです。

魂はこの体験を導き出したいのです。


チャレンジが苦しいと感じたら、「そのプロセスをどうやって楽しみに

変えるか」という課題のために立ち止まってください。

そのプロセスが楽しめないようでは、チャレンジは成し遂げても「新し

い自分」の誕生を見出す魂のワクワク感は起きて来ません。


「新しい自分」は、「努力と頑張りだけでチャレンジを遂げる自分」を

超越するのです。


もし、あの瞑想の中のお寺へのチャレンジを、丘や谷を登り風景や

自然を楽しむ旅として挑んだら、きっと池のそばのベンチで足を冷や

し、体に休養を与えてから進むという選択していたことでしょう。

そのような選択をするものだけが運良く、池のそばのベンチでお寺

の扉の鍵を見つけるのです。

魂の計画する人生は、そんな仕掛けがいっぱいです。


次回もこの続き、<迷ったとき、確信が持てなくなったとき>に

ついてのお話を予定しています。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。