バシャール2006―バシャールが語る魂のブループリント/ダリル・アンカ
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こんにちは、リブラです。

今回は「受け入れること」についてのお話です。


《「受け入れる」ということ》


バシャールによると「受け入れる」ということは、

「自分の人生で起きる、ありとあらゆる出来事はすべて自分自身のも

だと自覚する」ことであり、

「出来事に対する所有意識をもつ」ことだとしています。


どんな出来事も理由があって起きています。

そのすべてを(ポジティブなものもネガティブなものも)自分に関係ある

ものと見ようとすれば、そこから何かを学ぶことができますが、自分に

とって意味も価値もないとみなしてしまうとそこから何も学べません。


例えばスピリチュアルに生きるプロセスの中で、抑えがたいような怒り

を感じたり、激しい怖れを感じたとき、それを「自分の人生にあるべき

ではないこと」にしたら、何も学べなくなってしまうのです。


スピリチュアルな生き方をしているのに怒りや怖れに悩まされるならば、

そこに大きな価値が隠れているのです。

通常では見つからないようなネガティブな観念のシッポが見えた瞬間

だったりするのです。

自分が関わる出来事すべて、自身の心の投影であると自覚すること

で、初めて見えなかった自身の心の全体像がつかめてくるものです。


「受け入れること」と「我慢すること」についてバシャールは次のように

いっています。


「受け入れることは、起きるすべての出来事を自分がほんとうの自分

になっていく道の一部ととらえ、ポジティブに利用していく、ということ」


「我慢・忍耐することは、ネガティブなことであってもそれをプロセスの

一部なのだと受け入れ、その方向が真実の自分自身に向かう方向で

あり、ポジティブな意味があるのだと信じ続け、ふんばること」だといい

ます。


例えば、誰かに縛られるような状況に身を置いてしまったとき、その現

実を受け入れて初めて、そこから脱出する方法をつくりだすこと、考え

ていくことができますが、そのネガティブな状況に意味を見いだせなけ

れば、無力な被害者としていつまでもそこを脱出できないことになりま

す。

この物質界で経験する現実は、心の世界の投影ですから自分に自由

を許可しない心の在り方が続く限り、束縛する人が現れるのです。

変えるべきはそこだ、と気づかせてくれるのが束縛というネガティブな

現実の出来事なのです。


「押さえ込むこと」と「受け入れ、我慢をすること」の違い


バシャールは「望むものを手に入れるために自分を押さえ込む必要は

ありません」といっています。


「受け入れて、我慢する」のは、そこにポジティブな意味を見出し、真実

が見えてくるのを待つためです。

「押さえ込む」ことは、自分の可能性を否定し、自由選択をさせません。


「環境を変化をさせるときは、変化を起こしていく準備がほんとうにでき

ているか、観念をチェックすることが重要」


「変化には苦しみをともなう」とか、「変化するよりいまの状態にとどまっ

たほうが有益だ」という観念があると、「変化」は苦しみを生み、不利な

状況を引き起こしてしまいます。

目に見えた次元での準備ができただけで、わたしたちは「変化」に踏み

出してしまうときがありますが、心の怖れを無視しないで、そちらの準備

も万全にしたほうが、結果的には有益な現実を手に入れられます。


明日もこの続き、「与えたい意味を与えて現実をつくる」についての

お話を予定しています。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。