- 傷つくならば、それは「愛」ではない/チャック・スペザーノ
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こんにちは、リブラです。
今回は第90日目「人に対する裁きは、自分自身に対する裁き」
についてお話したいと思います。
「何かについて罪の意識を感じていなければ、人を裁くことはありま
せん。
ただ誤りが起きたと思うだけで、自分が手を貸せば簡単に訂正でき
ることがわかります。
けれども自分の誤りや、抑圧してしまった過去の失敗に罪の意識を
感じていると、その罪悪感は人への判断となってあらわれます。
そうすると罪悪感も、人を裁いたことも、そのままずっとあなたのな
かに積もり続けます。
ただし潜在意識のなかに隠れている罪悪感をすべて探しださなくて
も、許しによって、パートナーやあなたが裁いた人を解き放つことが
できます。
すると、その人を無実に帰すだけでなく、あなたも無実に帰るのです。
あなたや彼らがしたことは、「罪」ではありません。
ただの「誤り」なのです。
わたしたちがそれを罪と呼ぶことにとらわれてしまうのは、それが許
し難く、まず訂正不可能に見えるからです。
でも、実際は意識のなかではどんなことも変わりうるのです。
誤りやまちがいは訂正できるのです。
しかし、何かを罪だと決めつけてしまうと、その考えがこびりついて、
罪悪感を心の奥深くに埋め込んで、他人にそれを投影してしまうの
です」とチャックはいっています。
わたしたちの記憶の中には、膨大な量の失敗の歴史、罪悪感が眠っ
ています。
そこからつくられ、自分や他人を裁くための六法全書のようなものが
エゴの取り仕切る観念システムです。
この観念システムは放っておくと、ほぼ全自動で作動してしまいます。
つまり、人を裁こうとあえて思わなくても、勝手に裁きが始まってしま
っているということです。
そして、とても公平なので他人を裁いたルールは当然、本人にも適
用されます。
いくら本人がいろいろな言い訳を考えて自分を正当化しても、この観
念システムの裁きからは逃れられません。
どんな些細な罪でも、大きな罪でも、終身罪悪感を課される刑に処せ
られます。
この罪悪感から逃れるためには、同じ罪で裁いた人に恩赦を与える
しかありません。
自分を裁くことが多い人ほど、ルールや罪の種類が多いので、他人を
自動的に裁いてしまう傾向が強くなります。
悪い人を悪いと思ってなにがいけないのか、とルールを守って正しい
人として生きている方はいうかもしれません。
悪いものを悪いと思うのはかまわないのです。
ただ、自動的に始まる「裁き」にストップをかけるだけで、あなたの人
生はとても自由なものになっていくのです。
あなたのなかで密かに積もりに積もった罪悪感からも解放されるの
です。
「罪」を「誤り」に変えただけで、「裁き」にストップをかけることがで
きます。
「誤り」を見つけられた相手も自分が裁かれていないとわかれば、
「誤り」を直して同じ失敗を繰り返さないよう、「誤り」を正すチャンス
を与えられます。
そして、「誤り」から学ぶこともできるのです。
でも、断罪されてしまうと罪悪感に苛まれ、自分を正当化することば
かりにエネルギーを費やして、一歩も成長できないのです。
断罪されて「悪い人」のレッテルを貼られたパートナーは、ずっと「悪
い人」のままいるしかなくなってしまうのです。
あかちゃんが生まれてくるとき、最初から「悪いあかちゃん」という存
在はいませんよね。
育っていく環境のなかで、「誤り」の多い大人の影響を受け、「誤り」を
繰り返し、やがて断罪されて「悪い人」になってしまうのです。
そういうプロセスをとくに選択して、劣悪な環境に生まれて「誤り」の
多い人生を送るチャレンジャーな魂もいるのです。
全体性(神、ソース)の広大な視点からみたら、「裁く」こと自体が罪な
のではないかと思ってしまいます。
だから、人を裁くと自分も裁かれるということが、課されてくるのでは
ないでしょうか。
この続き第91日目「自分を犠牲にするほど、何かに溺れる」は明後日
に、明日は久しぶりに星のお話をする予定です。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。