- 傷つくならば、それは「愛」ではない/チャック・スペザーノ
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こんにちは、リブラです。
今回は「傷つくならば~」の第47日目、
「与えることで傷ついたときは、何かもらうために与えていたのだ」について、お話したいと思います。
「与えているのに傷つくとしたら、それは何かを相手からもらおう、奪おうとして与えていたのです。
つまり、相手があなたの望みどおりのかたちで何かを返してくれること、という契約を勝手にあなたが結んでいたのです。
与えることで満ち足りているときは、相手からどんな反応が返ってきても、まったく問題になはりません。
与えることそのものがすでに十分な報いだからです」とチャックはいっています。
家族のためを思って、心をこめて、時間や労力も投入して、健康的な手作り料理を毎日提供をしているのに、だれも「美味しい」とか「ありがとう」とかいってくれない、「主婦って、だれからも評価されなくて張り合いないなあ」というのを家庭をもった妹や友達からよく聞きます。
「美味しい」とか「ありがとう」の言葉があったら報われるのに、それを作ってくれる人に、なぜ、その一言の感想が返ってこないのでしょうか?
じつは、料理のでき具合と関係なく、見えない心理学的作用が働いているのです。
「ギブ&テイク」という分離時代のしくみで、今の世の中は成り立っています。
ユニティのしくみ「ギブ&ギブ」が成り立つ場所は、「愛によってつながっている場所」のみです。
外でごはんを食べたら「お金」を払ったり、提供してくれた人に「感謝の言葉」という代価を返さなければいけないルールがあります。
でも、「家庭」という場所は無意識にみんな「ギブ&ギブ」ルールの働く「無償の愛」の場所と思っているので、代価としての感想は返さないのです。
ユニティの「ギブ&ギブ」」のしくみは「喜びの循環」で成り立っています。
与えた人が、受け取った人になんらかの「要求」を持った瞬間に、「喜びの循環」でなくなってしまい、「ギブ&ギブ」の流れは止まってしまうのです。
作る側の人が「犠牲」からではなく、作ることが喜びで作ったときのみ「無償の愛」が流通するのです。
作る人が「喜び」を感じて提供した料理には、「喜びのエナジー」が転写され、それを食べた人が「喜び」で満たされれば、「喜び」を表現せずにはいられなくなります。
「喜び」=「ソースエナジー(源、愛、サムシンググレイト)」です。
心をこめて作ったのに、反応が返ってこなかったとしたら、作る側が「ソースエナジー」を入れ忘れたか、そのくらいじゃ足りないほど受けた側が「ソースエナジー」欠乏症であったかのどちらかです。
「与える喜び」のエナジーに満たされ、それが溢れてつながりのある人々に循環していくときは、与える人に欠乏感は起きないのです。
今日は与える側と受け取る側の両方の、「ソースエナジー」の循環を体験してみましょう。
あなたの身体が「喜び」に満たされるようなことを、「喜び」をもってしてみてください。
なんでもよいのです。
新鮮で美味しい果物を、素敵な器に盛って食べていいし、ゆっくり好きな香りに包まれながらバスタブに浸かるのでも、景色の良い場所や空気のきれいな場所を散歩するのでも。
大切なのはあなたが「喜び」をもって、自分自身に最高のサービスをしてみることです。
そして、身体が「喜び」で満たされと感じられたら、「ソースエナジー」の循環に成功したということです。
この状態で与えると、受けた側に「喜び」が循環していきます。
次回はこの続き、第48日目「罪悪感の奥には、つねに怖れが隠れている」についてお話する予定です。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。