- 傷つくならば、それは「愛」ではない/チャック・スペザーノ
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こんにちは、リブラです。
今回は「傷つくならば~」の第24日目
「だれかを恨んでいるのなら、自分のほうから謝ろう」についてお話したいと思います。
「『恨み』について注目すべきは、ありとあらゆる点で、『自分は絶対に正しい』」という思い込がつきまとっていることです。
これを信じるあまり、そこに固執したまま身動きがとれなくなってしまいます。
恨みが生まれるのは、自分を傷つけている観念体系にしがみつくときです。
それはまるで、ゴリラを憎むあまり檻に閉じ込めたら、いっしょに自分まで閉じ込めてしまったようなものです。
恨みの奥には罪悪感が隠れていて、それを相手に投影しているのです。
この秘密が真実だと理解するのに、強力な方法があります。
それは、相手があなたを踏みにじったと思うことについて、あなたのほうから謝ってみることです。
そのとたん、踏みにじったのは自分のほうだった、ということに気づくはずです。
これによってあなたは自分の感情が感じられるようになり、どんなものが内側に隠れていたのかわかるようになります」とチャックはいっています。
外国人が玄関で靴を脱がないで上がろうとしたからといって、注意する人はいても怒りはしないですよね。
日本でのルールを知らないのだな、で済んでしまいます。
これが、日本語ペラペラだったら、怒られちゃいますね。
そんなに日本語できるなら、文化の違いぐらい知っているだろうと。
ところが「日本語ペラペラなら文化の違いぐらい知っているはず」というのは思い込なのです。
「世間一般の常識に照らし合わせて正しいはず」という観念は、非常に曖昧な基準なのだけど、強力なルールなのです。
本人が「人として常識だ」と思っても、他人にしてみればさほど気にすることじゃなかったりするのです。
公の場だったら、ルールはみんなに守ってもらえるように表示されていますが、人間関係においては、いちいち表示されていないのでうっかり踏んでしまって怒りを買ってしまうことがしばしばあります。
大抵は摩擦がないように謝りますが、相手が予想以上に怒っているとびっくりして、謝るタイミングを外してしまいますよね。
機嫌が悪いときに謝っても、まったく聞いてもらえず謝ってないことにされてしまったり。
身近な人の怒りほど、その原因となっているものがわからなくて故意ではなく、無意識に地雷を踏んでしまうことが多いのです。
感情で感じている度合は、人それぞれで正確に怒りの程度などわかるはずもなく、どれほど深く謝るかは謝る側に一任されているわけです。
そこで、謝り方がたりなかったり、謝る程でもないとみなされた場合、傷つけられたと思っている相手は恨みに思ってしまうのです。
喜びや悲しみの感情は共感を呼びますが、怒りの感情はなかなか共感してもらえません。
どんなに怒っているのかどうしても相手に伝えたいときは、自分から謝ってコミュニケーションの橋をつなぐことです。
怒りというのは攻撃のエネルギーを帯びているので、怒りを表現した時点でじつは相手は攻撃されたことになります。
恨みを持つ側が謝る理由は、この見えない攻撃のエネルギーに対してです。
謝ってみると、向こうも謝ってくれるか、どう感じたのか本音をいってくれます。
コミュニケーションの橋がつながっているからです。
こうして、恨みは解消され、相手も罪悪感から解放されます。
怒りを発した側が自分から橋を降ろさないかぎり、この膠着状態が延々と続いてしまいます。
今日は、自分の「正しさの基準」でだれかを裁いていないか、考えてみてください。
その「正しさの基準」はどこからやってきたのでしょうか?
それが守られないとなぜあなたは怒りを感じるのでしょうか?
次回はこの続き第25日目「疲れ切っているのは『役割』を演じているから」についてお話する予定です。
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