愛とは、怖れを手ばなすこと (サンマーク文庫 E- 45)/ジェラルド・G・ジャンポルスキー
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こんにちは、リブラです。


今日は「愛とは、怖れをてばなすこと」レッスン5


「攻撃の思いを手ばなせば、わたしの見る世界から

脱出することができる」


I can escape from the world I see

by giving up attack the thoughts.


について考えてみたいと思います。


「攻撃は最大の防御」という言葉があるくらい、「攻撃」は意識的にも無意識的にも巷に溢れています。


つい最近終わったばかりの選挙にしても、選挙演説では盛んに他党の攻撃をしている声がスピーカーから流れていました。


「先制攻撃」はあまりよいイメージはありませんが、「やられたら、やり返す」の防衛は良しとされているからでしょう。


銃の乱射事件が社会問題となっているアメリカも、自己を防衛する権利を主張されてしまうと、国民からすべての銃を取り上げてしまうわけにもいかないようです。


こうなると「防衛」も「攻撃」の一種です。


「攻撃」を手ばなすということは、「防御」も手ばなすということになります。


相手に武器を捨てろといって自分が武装していたら、相手はいつまでも武装解除しないでしょう。怖いから。


ジャンポルスキー氏は「世界をつくり上げているのは自分の思いだ」といっています。


「世界についての自分の思いを変えることで、世界を変えることができるのだ」と。


自分の心のなかに「攻撃する、される」という思いがなければ、外側の世界でそのような現実に遭遇しないという意味になります。


頭では納得できても、これを100%受け入れるには勇気がいります。


以前マザー・テレサを取材した番組を見ていたら、紛争が起きて危険な地域に救護が必要な子供が取り残されているという連絡が、マザーのところへ届く場面がありました。


マザーは人の本質を「愛」そのものと見ているので、まったく怖れがなく現地に向かう準備をしようとします。でも、スタッフは「危ないからやめましょう」と止めると

マザーは「では、祈りましょう」といい、祈りが終わるとすぐ出かける用意を始めました。


それから、まもなく、安全が確認されたと一報が入り、救護に向かい、マザーの一行が帰ってくると、また、紛争が再開したと連絡がきていました。


TVの取材スタッフも、マザーの祈りの効果に驚いていました。


いまから思うと、マザーはスタッフの心の内の怖れを祈りによって取り除いたのかな、と思います。


わたしたち普通の人間にとって、自分の存在を守ろうとする「防衛本能」を手ばなすのは、なかなか高いハードルです。


でも、この「防衛本能」が過剰になり、知らずに親しい人や自分自身を傷つけていることがあります。


表面上は仲良くできるけれど、親密感を感じはじめるとなぜか、距離置きたくなる場合がこれにあたります。


自分でも気づかないレベルで人に対するトラウマがあると、無意識に親密になるのを怖れながらも、渇望するという矛盾した行動を取ってしまうのです。


野良だった子猫を飼っていたとき、頭を撫でようと手を近づけるたび噛もうとされて、悲しくなったことがあります


もちろん、本気で噛もうとしたわけでなくただ防衛本能の反射が働いたとわかってはいるのですが。


防衛本能は人を無意識に全身ハリネズミのようにしてしまいます。


ジョニー・ディップの演じた「シザー・ハンズ」の主人公のように、愛する人を抱きしめたくても、傷つけそうでぎこちなくしか抱けません。


勇気をもって、武器を(傷つけられるという思い)をてばなせば、愛する人も傷つけず、自分に人と親密になる喜びを与えることができるのです。


ジャンポルスキー氏のレッスン5のアファメーションです。


「今日わたしは、他者に対する攻撃的な思いは、実はわたし自身に向けられるのだと認めます。


人を攻撃すれば何かが得られると思ったときは、そんなことをすると、誰よりも先に自分を攻撃することになるのだと思い出します。


今日わたしは、自分自身をまた傷つけるようなことを望みません。」


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


明日は「愛とは、怖れをてばなすこと」レッスン6についてお話したいと思います。



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