- 愛とは、怖れを手ばなすこと (サンマーク文庫 E- 45)/ジェラルド・G・ジャンポルスキー
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こんにちは、リブラです。
今日は「愛とは、怖れをてばなすこと」のレッスン2
ゆるしは幸せにいたる鍵である
Forgiveness is the key to happiness.
について考えてみたいと思います。
「ゆるし」って難しいですよね。
「ゆるし」と「怖れをてばなす」ことや「幸せ」と、なんの関係があるの?と思う人もいるかもしれません。
でも、「ゆるし」ほど強力なエネルギーを及ぼす行為はないのです。
「奇跡のコース」では「ゆるし」は人間のなせることではなく、神にしかできないことだとしています。
しかし、人は「ゆるし」を行うことができます。
「ゆるし」を行った瞬間、その人は神に等しい存在になっているのです。
瞬間アセンションですね。(アセンションしたい人は断食をするより、ゆるせない人をゆるしたほうが近道かもしれません。)
なぜ「ゆるし」がそこまで強力かといえば、「ゆるす」ことほど「愛」を与える行為はないからです。
なにか悪いことをしてしまって、ゆるされたときのことを思い出してみてください。
自身の内側からは罪悪感で責め立てられ、外側でも悪いやつと非難されてもしかたがないのに、なぜか、その人はゆるしてくれた。
こんなとき、ゆるされた人の内側では罪悪感から解放され、やすらぎを取り戻し、感謝でいっぱいになるということが起きているのです。つまり、愛に満たされた状態です。
それでは、ゆるす方にはどんなことが起きているのでしょうか?
ジャンポルスキー氏は「ゆるしとは気に入らない相手の行動を我慢したり、大目に見たりすることではありません。ゆるしとは、相手が自分を傷つけたという誤った解釈を正すことです。」としています。
「相手が自分を傷つけたという誤った解釈」とは相手に「悪」という永久不滅のレッテルを貼ってしまうことだと思います。
ダメージを与えられたときの記憶だけで、相手の存在そのものすべてを「悪」としてしまったら、その人の中の神と等しい部分(魂)を見落としていることになります。これが、ジャンポルスキー氏がいう「相手が自分を傷つけたという誤った解釈」なのでしょう。
ゆるしをするとき「たしかに、ダメージを感じさせることは起きた、でも、それが相手のすべてではない。もう、その記憶にとらわれるのはやめよう」という心の動きが起こります。
ダメージを感じる(被害者になる)→怒りが出てくる→心が乱れて苦しい
→ダメージの記憶に執着しない(被害者になるのをやめる)→ゆるし
→やすらぎを取り戻し、相手の罪悪感を理解する余裕も生まれる
「いつまでもゆるせない」ということは「いつまでも被害者で居続ける」ことなのです。
「いつまでもゆるせない」ということは「いつまでも自分にやすらぎを与えない」ということなのです。だから、怖れの元になりうるのです。こんな状態を幸せとは呼べません。だから、「ゆるしは幸せにいたる鍵」なのです。
わたしの父は、家族に暴力をふるってダメージを与えていました。
母はその暴力から逃れるため、子供たちを盾にしたり、お酒に溺れて現実逃避をしたりしていました。
わたしは、両親が精神異常者なのではないかと思いながら育ちました。
だから、最初に就職した病院は精神科でした。精神異常とは、どんな症状なのか知りたかったのです。
母はうつ病であることが、すぐわかりました。治療につながるように橋渡しをしたとき、かなり強いうつ病の薬が数種類処方されているのを見て、可哀想に思いました。きっと、父から感じる恐怖はだれよりも激しく、子供たちからの非難は母の罪悪感を何十倍もに増強させていたことでしょう。
母に共感した瞬間に、わたしは母の被害者であった記憶をてばなしました。
いまは、母からのたくさんの嘘や理由なく掃除機で背中を打たれた記憶を思い返しても、まったく怒りを感じません。ゆるしが起きたのだと思います。
父のことは「虐待の連鎖」だったことが推測されました。
わたしは子供を虐待する親は、悪魔のような人達と勝手にレッテルを貼っていました。
ある日、顔に血糊をつけ、背中に無数の噛み傷のある2歳児とその家族が外来を訪れ、母親に抗うつ剤の点滴をしている間だけ、交代でその2歳児のお守りをするよう頼まれました。
「お腹すかせているみたいだから、ビスケットでも食べさせてあげて」といわれたので、ビスケットのかけらを口に入れてあげると、わたしの小指を小さな右手でがしっとつかむとずっと離しません。食べ物をくれる人を確保したという感じなのです。わたしは涙がでそうなほど切ない思いにかられ、この子をあの親たちに渡したらいつか殺されてしまうのではないですか、ドクターにいいました。
すると「これを読んでみなさい」といって、カルテを2冊渡されました。
その子の両親のカルテです。読んでみて驚きました。その子の父も母もひどい虐待を受けて育ったようでした。
ドクターは「それを読むとだれが悪いとかいえないでしょう。虐待は連鎖してしまうから。いま、子供を引き離すと両親は永遠に親なりきれず、子供は永久に実の親と絆が作れなくなってしまうから、母親の母性回復にかけているのです。」といっていました。
わたしはそれから間もなく、父の子供のころの話を直に聞きに行きました。
5歳のとき父は実父を亡くし、その後は父の母の内縁の夫に虐待を受け、家に置いてもらえず、親類の農家の手伝いや新聞配達をしながら小学校4年生で完全に自活していたそうです。
だれにも頼れない子供時代から、15歳で大工の棟梁に弟子入りしたとき、父は初めて棟梁に父親像を見つけたようでした。
この話を聞いたとき、わたしは深い理解と共感を感じました。
気に食わないとすぐ物を投げつけたり、怒鳴ったり、暴力に訴え、それが自分の教育方針だといって譲らない父の原点はここだったのかと気づいたのです。
わたしたち子供は父に、父親らしい愛情を求めていましたが、父は大工の棟梁が弟子に仕事を教えるやり方で子供を育てようとあがいていたわけです。
父親の愛情を知らずに育った人に、4人の子供たちはないものねだりをしていたのです。
父の生い立ちを聞いて共感したとき、わたしは父がずっと独りぼっちでいる5歳の男の子にしか見えなくなり、いっしょに泣いてしまいました。
このとき以来、父のことがゆるせるようになり、わたしの父に対する被害者意識はなくなりました。
そして、奇跡も起きました。
父は糖尿病になった母を食事療法で治し、昨年、母は無事に脊椎管狭窄症の手術を受けられました。
その後の介護も、家事もすべて父が、嬉々としながらやっているのです。
母はそんな父にブツブツ文句をいい注文をつけながら、長年の恨みを晴らしているようですが。
「悪者」の永久不滅シールを貼らず、ゆるしという「愛」を与えると人は信じられないほどの変容を遂げるのだな、ということを身を持って体験しました。
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