2泊3日のソウル行の最終日となった。午後の便で帰国するまで多少の時間はある。博物館に入ったりする時間はないけれど、街歩きはできる。それに、ぜひ訪れたい所があった。

 

早朝にホテルを出たが腹の調子が
 早朝にホテルをいったん外出した。
 ところがホテルを出て、2ブロックほど歩いて、腹の調子がおかしくなった。急いでホテルに戻ってトイレに入った。
 下痢した理由は、2つ、思い当たる。1つは、6月8日付日記:「韓国、ドボンサン登攀記(6);下山路を間違えて出た望月寺は森の中、水も豊かで喉を潤す」で記したドボンサンからの下山中に望月寺の山門近くで補給した水、である。流れている水で、しかも冷たかったから、湧き出したものであることは確かだが、雑菌では入っていたのか。
 もう1つは、前夜、南大門市場の一角の魚屋の2階で食べた刺身が原因の可能性である。
 ヒラメ、ソイなど、白身の魚が刺身が、大きな皿に隙間無く敷き詰められていた豪華版である。活きは良く、コリコリした歯ごたえがたまらなかった。

 

魚は新鮮だったが
 店は、お世辞にも清潔そうに見えなかった。それでも安いからなのか、土曜日夜ということもあり、満席だった。予約を受け付けない所なので、行って席が空くまで10分ほど立って待っていた。それほどの繁盛している店で、新鮮な魚で悪いものが出るか。
 幸い下痢は軽く、あと、トイレに駆け込む場面は訪れなかった。
 ただしばらく、ベッドで横になっていた。

 

西大門(ソデムン)独立公園へ
 1時間半は、そのまま横たわっていて、11時半チェックアウトまで、1時間半というタイミングで起き出した。
 ホテルは、鐘閣(チョンガク)駅近くにあったから、「西大門(ソデムン)独立公園」までは、地下鉄1号線で2駅先である。
 早朝出た時は、歩くつもりだったが、歩いていては間に合わないかもしれない。地下鉄に乗った。
 西大門独立公園の場所柄、日本人の僕が尋ねたら意地悪されるか、とも懸念したが、ソデモン駅で中年男性に出口を尋ねたら、親切に教えてくれた。韓国の「反日感情」に、どうも僕は過剰に自己反応をしているようだ。
 4番出口で地上に出ると、すぐに「3・1独立宣言記念塔」が見えた(写真)。

 

 

 

歴史館はパス
 この公園(写真)の一角には、「西大門刑務所歴史館」がある。日本統治下の抗日独立運動の闘士たちが収容された監獄や死刑場、塀や見張り台などが残されているという。独立運動家で、逮捕後に官憲の拷問を受け、獄中死したことで名高い柳寛順の地下女子房も残されているそうだ。

 

 

 時間もなかったし、反日宣伝の場ともなっているので、今回はパスする。

 

親日の記念碑「独立門」
 僕が観たかったのは、「独立門」である。公園南端に立つ、パリのエトワール凱旋門を模して1897年に造られた(写真)。

 


 創建年からして、3・1独立宣言記念塔とは性格を異にする。
 つまり日清戦争で、日本が清国に勝利したことにより、下関条約で清の冊封体制から李氏朝鮮が解放され、独立を認められたことを記念して建てられたのだ。
 日本が韓国を併合したのは、1910年だ。3.1独立運動蜂起が起こったのは、1919年3月1日である。
 すなわち19世紀末、日清戦争直後は、朝鮮は清国から解放してくれた日本に感謝する立ち位置だったことを示す。

 

元の位置から移され、南側隅っこに
 ところが反日一辺倒の現在の韓国では、独立門は「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多い(!)のだという。時代認識も大間違いだし、正しい歴史が教えられておらず、歪んだ歴史観のもとで反日教育一辺倒で育った世代ばかりになったから、そういうことになる。
 かつて日本に感謝しつつ創建された独立記念の一時代が忘れられている。そのせいか、独立門は本来の位置から大きく南側、すなわち片隅に移されている。
 これを観られたのは、収穫だった。写真は、漢字表記されている南側から見た独立門と北側から見たハングル表記の独立門。

 

 

 

(ソウル訪問記はこれで終わります)

 

昨年の今日の日記:イスラエル・ヨルダン旅行のため休載