お父ちゃま | ☆Grace&Kelly☆ レディへの道

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我が家のグレース&ケリーの成長記録をメインに日々を綴っていきます☆

2月25日、祖父がこの世を去りました。


本当に突然の事でまだ信じられません。


何があってもおかしくは無い歳でした。


大正3年生まれの98歳。 数えで100歳です。


最初に駆けつけた私は、ベッドに横になっている祖父を見て


いつもと変わらず寝ているものだと思いました。


でも医師から時間を告げられ


何を言ってるのか全く理解出来ませんでした。


呼び出された時、そこまでの状態だとは聞いていなかったし…。


我に返り現実を目の当たりにし、泣き崩れた自分がいました。


もう数分早ければ、看取ることが出来たのに。


お父ちゃま、ごめんなさい。


もっと早く来れれば良かったと、本当に後悔しています。


どうして命はこんなに儚いものなのでしょうか。


25日というのは、祖母の月命日でもあります。


これもやっぱり運命だったのでしょうか。



亡くなってからこの数日、たくさんの方が祖父に会いに来てくださいました。


家族でも知らない事って多いんですよね。


とにかく仕事一筋。 若い頃は家を空けてることの方が多かったんじゃないかな。


仕事の他にも地元旭市の為に色々と頑張ってたとか。


今は盛り上がりにかけるけど


この町の七夕祭り始めたのうちの祖父ですよ。


生まれ育った町が本当に好きだったんだね。



前に母方の祖母が、長生きするのも楽ではないのよって言っていました。


戦争を経験しお国の為に貢献し、家族の為に商売人として働き、


子供を先に亡くし、伴侶である祖母も6年前に先立たれ、


この長い人生本当に辛いことも多かっただろうなって思います。



話しはじめればキリがないけど


施設に入るまでは私達なんかよりよっぽど動けて目が離せなかったんですよ。


毎朝、神棚の掃除、仏壇に手を合わせ、真冬でもお庭の掃除は欠かさず


自分で大好きなお味噌汁作っては


たまにお鍋を火にかけっぱなしでよく私も怒ってたっけ。


それに危ないって言ってるのに自転車乗りまわしてそれも怒られてたな。


入院中の祖母を毎日お見舞いに行くのが日課だったのに


自分が転んで骨折しちゃったり。


90歳過ぎてから足にボルト入れる手術したんだから。



今思い返すとそんな日々がとっても懐かしいです。


頑固でマイペースでしたけど、とっても優しい祖父でした。


そんな祖父の顔を見られるのも、今夜が最後です。


しっかり目に焼き付けておきます。


そして、お父ちゃまの為にしっかりと旅立ちを見送りたいと思います。




お母ちゃまが亡くなった時に話しかけていた言葉を思い出します。


お母さん、なんでこんなに早く逝ってしまったんだよ。


天国に行っても一緒になりましょうねって。


もうすぐ、お母ちゃまに会えますね。


戦時中、お父ちゃまからお母ちゃまに送ったラブレター。


まだ残ってましたよ。


仲良く見守ってて下さいね。



お父ちゃま、長い間ご苦労様でした。


家族の為にありがとうございました。


思い出をたくさん残してくれてありがとうございました。


感謝してもしきれません。


ゆっくり休んで下さいね。