ママとの思い出の場所が、また一つ、
消えていた。
ママを1度だけ、連れていけたのは「食」では、最高の親孝行をしたと思っている。
私は海産物の多くが食べられなくなったけれど、今は齢、92になられた
「つる幸」創業者の河田三朗さんの手になる料理なら、今でも食べられるかも知れない、と思う程です。
4回、訪れて先代のお料理をいただけたのは3回。
2回目がママと一緒でした。
今年の1月30日はママの23回忌で、つらつら思う内に「つる幸」は大丈夫だったか気になり、お電話したら、先代の娘さんが出られて、お話で閉店を知り、先代のお料理は和食で日本一だと思っていたから、残念だとお伝えする内に、先様も私も涙声になってしまいました。
先代はスゴいかたで、多くの京都の名料亭の跡継ぎを育て、京都三ツ星、瓢亭の15代目の現店主も、大学卒業後に、先代の元で3年間修行してから、父の元に戻っています。
著名人にも、「つる幸」を愛する方は多く、急には思い出せないけれど、林修さんや、鹿賀丈史さん、高名な陶芸家、松任谷正隆、ユーミン夫妻など食通ばかりです。
アパホテルの会長さんも金沢の方で近い事もあり、頻繁に訪れている事を若女将さんから、聞いていました。
裕さんが行きたがっていたから、今年は行くつもりでしたのに、
今は客室四つのみの、高級旅館になってしまいました。
お料理の美味しさ、盛り付けの美しさだけではなく、全てに於いての心遣いが、優しく、行き届いている。
冬でもない時期に訪れた時は、和室ですがテーブルの下に足がおろせて、くつろげ、
なんか足元がふうわり包まれているみたいに、疲れが取れそうに気持が良い。
ふと気がついて足元を覗いたら、女将さんが、
「おあつうございますか?」
いえいえ、何か気持が良いから不思議だと・・・
「今日は、何となく肌寒い感じがし
たようでしたので・・」
こんな感じの心配りです。
そして、下足番のおじさんも靴を置く時に履きやすい幅を開けてであり、気が付けば、兼六園で付けた土もキレイに.
閉店する原因は、人手不足という事らしいですが、
私は、それだけではないと思っていて、4回目に訪れた時に、二代目に代わったばかりで、先代の料理を踏襲せずに脱却を懸命に図る様子にみえ、若女将に少し話したら、調理場でも、先代との衝突が有り、なかなか難しい、という様な話だった。
京都の味吉兆の修行を終え板場に入って間も無かった。
だから、暫くは来ない方が良いと考え、実際に行かなかった。
そろそろ良いかも、と思い始めて、
その結果が、最悪の現況です。
