また、
初めて知る、胸を打つお話を、
教えていただき、ありがとうございます。
戦争は、
互いに「大義名文」を掲げてしているかも知れないけれど、
国も異なり、小さい括りでは関わりの無い私等は、
「胸に一物」無いから、単なる蛮行としか見えない。
「大義名文」を持つ者は、
大抵の場合、少数派であり、
人として生まれたら、家族に囲まれ、
人生を謳歌し、何の事件も身の上に起こる事無く、生涯を無駄なく、穏やかに生きられたら、それが良いのに。
普通に当たり前の事なのにな。
何故に・・、当たり前にならない。
愛情と絆を、木っ端微塵に壊されるのは、いつも弱きものたちだ。
よわきものは弱い「人」のみに限らない。
その地に生きる全ての命と、
地に根を這わせる樹木や草花の植物たちや、
はては、
人事を尽くして創り上げた住居や、歴史的建造物や、生活全般に関わる全ての物も、兎に角も、何もかもが、
天命を待たずに破壊される。
神の怒りをかいますよと、伝えたい。
山村さんのフォトの中のかわいい
小さな命たちも、
形は違えど、彼の地にもあるはずだ。
草むらの片隅で、誰に見られなくても、ささやかに静かに花開くはずだった
小さく根付いた命もまた、 瓦礫の下敷きになったり、踏み潰される。
怒りと悲しみが溢れます。
こうした事の繰り返しは、地球という、私達の星に、茶碗が欠けるみたいに傷を付け続け、
地球の命をも短くしていくと、私は思う。