ノーベル文学賞に関わる話を記したく思います。
私は実は三島由紀夫にも傾倒していました。
「剣」という作品を読んだのが最初で、読み手自身が真剣と対峙するかの様な、凄烈な武道の精神と、空気が冷たく感じられる程の緊張感を感じる文章でした。
但し、芥川龍之介に対するのとは異なり、全ての作品がすきだった訳ではありません。
というより、買い揃えた全集の初版本を全て家人に無断で廃棄され、時間が出来たら読むつもりが萎えてしまったのです。最近はマシになりましたが、自分が不要な物は平気で捨てる人でしたから。
日本でノーベル文学賞を得たのは1968年の川端康成と1994年の大江健三郎で、
英語作品で受賞した、カズオ・イシグロは日系英国人は日本枠か、わかりません。
今年の春、NHK BS 1 で放映された、タイトルは控えてないし、失念しましたが、検索して、多分この番組の再放送ではないかとおもいます。
三島由紀夫×川端康成 ノーベル賞の光と影 - NHK クローズアップ現代 全記録 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4241/
この内容によると、当時ノーベル文学賞は候補がもう一人いて、それが三島由紀夫であり、そして、川端康成が三島由紀夫に
「君はまだ若い、この度は私に譲って欲しい」
と、説得し、三島は断れなかった、という内容です。
挙げ句、推薦状を三島に書かせている。
三島は、自分は文豪となるか革命家として名を馳せるかしか無いとの意味の言葉を友人に告げていて、ノーベル文学賞が次に日本から選出されるには、最低20〜30年はかかる、自分には希望が潰えたと失望したらしい。
実際に、次にノーベル文学賞を受賞したのは大江健三郎氏であり、川端の受賞の
26年後である。
鼻っ柱の強い三島も他の文学賞には興味が無かったが、ノーベル文学賞には一目おいていた。
望んでいたのだ
当時、三島は川端康成を慕っていて、川端康成も三島を可愛がっていたらしい。
故に断りきれず推薦状をしたためたが、その時の心情を思うと、川端康成の卑怯さ、ずるさに嫌悪感が湧く。
二年後に三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で「楯の会」の事件で割腹自決している。
三島の遺族は、三島を死に追いやったのは川端康成だと恨んでいたそうである。
そして、自責の念?罪悪感に苛まれたのか、三島の死の二年後、川端康成は薬物の常用や鬱状態に苦しみ、ガス自殺をとげた。
だが、名が残るのは、川端康成だと思うと、三島由紀夫が可哀想すぎる。