芥川龍之介・捨て子 | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

暫く前に、芥川龍之介の「歯車」をモバイル・ブックで、聴いたが・・・・・酷い目にあった。

それまでも読後.不愉快な感覚が残った作品、例えばカフカの「変身」など、読まなければ良かった、と思える小説は有る。

けれど「歯車」は、厭な予感がしつつ.進む内にその予感は的中.どころか増々強まり、止めたいのに止められない。先に何があるのかを知りたい。

呼吸が苦しくなる様な「それ」は、もはや感覚なんて生易しいものではなく、逃げようとして逃げられない。

その対象が何かも解らず、ただただ引き摺られる様に最後までいってしまった。

終わった後に残ったのは読後感想なんてものではなく、私自らが作品の内容を丸ごと体感した様に疲れて、ぐっしょりと汗して1週間程も疲弊したままだった。世界が変わったかの様な体験だった。

芥川が自死のすぐ前に書いた遺稿で未発表のを菊池寛だったかが尽力して作品として残したそうだが、既に狂気の中にいた芥川の表現力が衰えなく、名作とも謂れている由。

しかし、二度とは読みたくない作品になった。



昨夜は何か惹かれるものは無いかとタブレットをいじっている間に、以前に一度は聴いた「捨て子」が目についた。またしても、芥川龍之介である。

悪い感覚は記憶無く、もう1度、と試す気になる。

良かった。


寺の門前に捨て子にされた赤児を住職が育て、熱でも出た日には抱いて檀家に仕事に行く程に大切にしていた。

毎月.決まった日に説法日をもうけ、子に実母を会わせたく、誰とも判らぬ実母に、名乗り出る様に促す。怪しげな女もあらわれるが見抜いて追い出す。

一方で、夫と苦労して生活をやっと成り立たせた女が、某日、病で夫と、間を置かず唯一の子を失くした。

失意の中で法話に合い自分の捨てた子だと名乗り出て、信頼を得て引き取り、母子として暮らす。

やがて成長した子は、ふとしたきっかけで、実の母子ではない事を知るが、何をも告げないまま、やがて、黄泉に旅立つ女を母として送る。

これを誰かに告げている図だ。


互いに無いものを補い、情愛が生まれ、母は母として生きて旅立った。

子もまた、母からの温情を受け、母を母として受け入れたから、最後まで子として寄り添った。


私には、そう思える。

心地よく、感動もした。

芥川龍之介を嫌いにはなれない。