この短編は既に何回も聴いた。
何度.聴いても衝撃を受けるが、ストーリーは「彼」が知人宅に向う途中で、6歳の男児が災難に合い、始まりから顛末を全て目にしていて、
助けの手を差し伸べる機会があったが躊躇する間に機を逸し、… … … 男児が大人達に囲まれてからも庇う発言で、助けになるであろう、と思いつつ、結果的に放置して急ぎ足で立ち去る。
「彼」の胸の内に葛藤がある故に、訪れる知人宅をも通り過ぎてしまった。
物語の中の「時」は数分でしかない。
件の男児は豊かな家庭に育つ様には見えない外観であり、道の反対側には彼を識る子供達が、遊んでいる様子だが、仲間はずれにされている。
それ等は「彼」の認識であり、にも関わらず。
安易には記せないが、
今の時代の、イジメと被害者を取り巻く大人達の対応に似ている気がする。
ところで
「彼」は勿論.有島武郎であるはずも無く、物語であるのは当たり前だが、
有島武郎は非常に繊細な気質の持ち主に思える。
彼は、3人の子供と妻を残して愛人との情死で生涯の幕を自ら降ろした。この時、45歳である。 彼自身の生涯を、小説で読みたい位である。
彼の「愛」に対する考えは著作にも残されているがナイーブでもあり、衝撃的でもある。
彼の文学に心を打たれ、多くの著作を魯迅が中国に広めたそうだ。
老境に至るまで執筆活動が続けば、更に多くの感動を与える作品を生み出したはず、惜しいとは思うが、それは彼の文学を愛する者の勝手な考えだ。
彼は、彼の生き様を生きたのであり、多くの著作を遺してくれた事に感謝しなければいけない。