ママは肺腺癌で旅立った。入院していたが弟たちは家での看取りを主張した。私は看護師だったので最期を前に疼痛に苦しむ事を知っているのと、点滴他.医師の判断で何かはママの症状を少しでも改善出来る事を説明したが解ってもらえなかった。帰宅した翌日にやはりママは激しい痛みに苛まれ辛そうで見るに耐えない状態になり、やむ無く大学病院の担当医を訪ね、指示を仰いだ。 往診はしてもらえない為、麻薬の取り扱い資格の有る開業医を自分で見つけ、その方に後を診てもらう様に云われた。そして1回分だけ痛み止めの麻薬の座薬を貰い、同行していた弟に託し、帰宅してママがまだ痛がっていたら座薬を入れる様に指示をした。 ママの傍らに居たいのに数時間.車を走らせて何箇所も開業医を訪ねたが、快く引き受ける旨を伝えられても皆、麻薬取り扱いの資格が無く、暗くなり始めた頃に、やっと該当する医師を見つけ、翌日に往診もしてくれる約束を取り付けた。帰宅するとママはやつれていたけれど穏やかな表情で眠っていた。すごく不安で何度か目覚める度に気をつけていたが明け頃に血圧がかなり低く私は絶望した。 1度も診察しないまま、ママは旅立ったけれど、この医師が、私の説明と了承した旨を伝えてくれた後に言って下さった言葉に対して、私は今も心から感謝をしている。 「お母さんに、ありがとうの言葉を、声を出して聞こえる様に言っておきなさい。」 そうだ。今しか無いんだ。と気づかせて下さいました。 帰宅し、1度も目覚めずに母が旅立ったのは、翌日の午後で、私は他の親族も居たけれど構わずにママの耳元に口を近づけ体にすがって「ママー! 産んでくれて.ありがとう」と何度も何度も言った。 あの先生の言葉が無かったら、ただただ泣いてばかりだった。