いい年して恥ずかしい事かも知れないけれど、 母のこと「ママ」と記させて下さい。 でないと、他の人のことみたいだから。パパは病床の姿しか記憶が無くベッドで手作りのスゴロクで相手をして遊んでくれたのが唯一の思い出。 ゴールはドクロの絵で、負けた私が泣いていたら「勝たない方が良いんだよ」という意味の事を言って頭を撫でた。顔もおぼろげだけど、大人に近くなって、父は死期を見ていたと解り、今、思い出しても切ない。 その後はママと二人で暮らしていたが11才の時、ママに猛烈にアタックしていた後の義父と再婚し、弟が二人生まれた。 義父は東京での仕事を辞めて母の元に来た為、真面目ではあるが余り収入の良い仕事にはつけず、ママは自宅で洋裁の仕事をし、義父より収入が良い位だった。 弟は可愛かったけれど義父には馴染めず、家の中で私だけが他人で、他所んちにお客に行っている感じで居心地が悪かった。 でもママと二人で暮らしていた時や、他の家族が不在の時は思い切り甘えられ、叱られる時すら楽しかった。 私が悪さをし、ママが叱る途中で「親の意見と茄子の花は千に一つの無駄も無いんだよ」と言う。 横着な私は「老いては子に従え、って言うじゃん」と口ごたえをする。ママは洋裁に使う竹の物差しを持って逃げる私を追う。 私はママが18才の時に産んだ娘だから、時には姉妹の様な時もある。 ママは大層うつくしくスタイルも良かったから、一緒に外出すると、「今日はお姉ちゃんと一緒にお出かけで良いね。」とよく店の人等に言われた。またママのこと、伝えさせてね。