Ribi's room -140ページ目

Ribi's room

きまぐれな独り言・・昭和のかおり

我が家のなっちゃんの食欲が半端ないんです。いくら食欲の秋とは言え・・・


なっちゃんは前にも書きましたが、糖尿病でインスリンを朝晩2回打っています。とは言え食事制限は特に無く血液検査も月1回やっていてコントロールしています。先生いわく「幸せな糖尿病」なんです。わがまま姉さんなので色んな餌をローテーションで出さないと怒っちゃいます。そんななっちゃんに振り回されている事に幸せを感じているバカ夫婦です。


体の少しまん丸くなってきたし、出るものもとても立派で人間が猫砂の所でしちゃったみたいなんです。糖尿病は多飲多尿なので猫砂はあっという間になくなります。でもトイレの掃除すら幸せを感じています。


だって一昨年のこのぐらいの時期から体調が悪くなり年末には余命宣告されたんです。筋肉も体力もどんどん落ちて階段はおろかベッドにも登れなくなり、そしてトイレの淵さえ高くて越えられないほど衰弱してしまったのです。前の獣医がヤブだったんですが、無知な飼い主の私たちの責任でもありました。


命が助かって喜んだのもつかの間、今度は糖尿病により足とお腹に壊疽が発症して後ろ足二本が包帯でグルグル巻きになって、その頃は少し元気を取り戻したなっチャンは、隙あらば包帯を引っ剥がしてしまうのでカラーを付けるか、監視するか、休む暇がありませんでした。いつまでたっても肉球がグチャグチャでこのまま治らなかったら足を切断しなくてはならないかもしれなかったのですが、根気良く薬をつけて養生させたので治っていきました。


その後は今に至るのですが、辛い思い出が全て今なっちゃんの幸せに繋がっているようで、歩く姿、走る姿、食べる姿、遊ぶ姿、寝る姿・・なっちゃんを見ているだけで、幸せいっぱいになる溺愛バカ夫婦なのであります。

今日は午後から病院でCTの検査がありまして、忘れていたわけじゃないけど「さてお昼は何食べようかな?」とりあえずみかんをパクリパクリ・・・夫に「昼食べていっていいの?」と言われ「ドキッ!」

そうです、そういえば「昼は食べないか早めに食べてね」って先生が言っていた記憶が蘇ってきました。我に返り早速PCで調べました。

「水やお茶は直前まで飲んで良いが、食事は4時間前までに済ませること」って言うのが主流でした。みかんはジュースに近いから由として欲しいなぁって思いながら更に見ていたら、ある先生が「消化器系は例外であるが、食事をとっても問題ない。空腹で造影剤を打つことによって吐き気をもよおす場合があるが、それ以外はあまりない、逆に空腹すぎる事の方が悪いと言うことを当病院では推奨している。」とありました。


確かに私はグルグル回されたって吐かない自信があります。空腹でグルグルされる方がきっと気持悪くなりそうです。今回はCT

なのでグルグル回りませんが、この先生を支持します。でもみかんだけにしました。


3時30分の予約なので、やはりみかんだけでは相当空腹で辛かったです。造影剤を入れていく時感じたのは、強いお酒を一気飲みしたような感覚がします。お酒が弱い人にとっては満腹だろうと空腹だろうと気持ちが悪くなるかも知れませんが、そこそこ強い私にしてみればいい気持で満腹でも絶対吐かないと思いました。きっと気持悪くなって吐いた人がいたので「空腹でやる」ってことになったんじゃないかと・・・


さっき支持した先生も書いていましたが、「空腹でやらなければならない」って言うのが医学会の定説にいつの間にかなったとか・・先生のいらっしゃる病院は寄寓にも比較的家のそばの大病院ですが、どうか先生、その定説をぶち壊していただきたい!!切なる願いでございます。


病院の帰り、遅い昼食と言うか、早い夕食と言うか食べて帰りましたが、まるで欠食児童のようにガツガツかっ食らってしまいました。病院帰りに不健康・・・



今日はたくさん発見されたお茶の中から安そうな煎茶を煎ってほうじ茶を作りました。ほうじ茶を作る香りが大好きなんですが、香りを楽しみながらある思い出に浸っていました。


家の近所の商店街にあるお茶屋さんは私の子供の頃からある老舗で、昔からずっと店頭でほうじ茶を作っています。今は商店街に匂いを発する店舗(メンチかつ、パンや、焼肉屋、たい焼き屋等)が増えて、ほうじ茶の香りがかき消され気味です。でも昔はほうじ茶の香りにむせるほど、お店の前を通ると白い煙とともに鼻をの中を香りでいっぱいになりました。


その香りをかぐと、幼い頃母に手をひかれながらその通りを通った記憶が蘇ります。何故か母はお茶屋さんの前は早足で通り過ぎるんです。それには訳がありました。お茶屋さんの向かいにはやってるんだか閉めているんだかわからない歯医者さんがあってその前にいつも傷痍軍人と思われるおじさんが物乞いしていました。アコーデオンだったかハモニカだったかを奏でていたような記憶があります。母は早足とともに「見ちゃダメ」って言って私の手をぐいっと引きました。後で聞いた話によるとその立てなそうに無いおじさんは一日の営業が終わるとすくっと立ってタクシーで帰宅していたとか・・・


おじさんの他にも露天で七味屋さんのおじさんが赤いとんがり帽をかぶって売っていました。注文するとその場で調合してくれていました。


狭い横丁に入ると、母のお気に入りの舶来品の店があって、たぶん米軍とかから払い下げてきた物で半坪ほどの小さいお店はいっぱいでした。真ん中におばあさんがちょこんと埋まっているイメージの店です。そこだけアメリカの匂いがしました。缶詰・お菓子・化粧品等は皆英語で書かれていて子供心にウキウキしました。母は「ポンズコールドクリーム」を良く買っていました。私はお供する時はいつも「フィリックスちゃんの風船ガム」です。その頃流行の漫画でしたが、東京しかやっていなかったのか夫は知りませんでした。


一つの香りでここまで思い出に浸れるってすごいなぁって自分で感心してしまいました。それだけ長く生きてるって事でもありますね。