義父母は震災があった年の前年、地方から東京の我が家の近所に引っ越してきました。80歳近い2人が住み慣れた土地を離れて東京に来るのって、そうとう勇気と覚悟があったと思います。
本当に近くて条件の良い家が丁度運よく見つかったのです。
引っ越して1年くらい経った頃、義父は昔患った肺気胸が再発して
入院しました。レントゲン写真を見せてもらったら、肺が穴だらけで相当辛かったと思いました。それから酸素ボンベのお世話になることになりました。外出はコロコロ引いていき、家では大きな
機械が取り付けられました。ホース等うざったいけど大分楽になったようです。
元々パワフルで、何でも出来る器用な人なので、酸素を吸いながら車の運転はするし、食欲も旺盛で新幹線で旅行にも行きました。凄いのは酸素ボンベのことですが、旅行計画をお医者さんに出し、ボンベ業者に渡すとボンベが切れそうになる前の駅とかに届けてくれるし、泊まるホテルの部屋には大きな酸素を作る機械が届いているんです。しかもボンベ使用料は普段の生活と同じしか取られませんでした。
去年私が入院した時、10日目ぐらいに外泊が認められて、一泊家に帰りました。なっちゃんも病気で心配でしょうがなかったからです。家に帰って安心しました。
翌日の朝病院に戻る時、タクシーを呼ぼうとしたら義父が
「送っていくよ
」と、言ってくれたのでお言葉に甘えました。
義母も一緒に送ってくれて、車中おしゃべりに夢中でした。
病室に戻り、いつもの入院生活が始まりました。
病院の早い夕飯が終わりかけの頃、息子から意味不明のメールが着ました。
「おじいちゃんがなくなったのでおやじと○○病院(私の入院している病院)に行った。」
何度も何度も読み返し・・・メールではらちが明かないので電話しました。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。おじいちゃんが死んじゃって救急車でその病院に運ばれてるんだ。おやじの携帯が電池切れで僕にだけかけて来たんだ。僕も今そっちに向かってる」
「・・・・・・」
朝別れ際に見た義父の姿が最後の姿と言うこと・・・
そう言えばいつものおじいちゃんらしくなかったかも・・
婦長さんに訳を話して、救急医療センターにパジャマにスリッパで走っていきました。この病院は混んでいていつもは別の病院に回されることが多いのに、義父は最後わざわざこの病院に来てくれたんだと思います。
その日、いつも行くスーパーに行くのをやめて家でのんびり過ごし
夕飯を食べてテレビを見ていたらそのまま眠るように亡くなったそうです。苦しまなかったのが救いです。
義父が東京に来た訳は、自分の余命を感じ、残された義母が
一人ぼっちで寂しくないように用意周到な計画だったんです。
亡くなってから東京に来たら、義母が適応出来ないと感じたのでしょう。実際義母は少しボケているので、心配していました。
おじいちゃんの愛
とても素敵です。