やっと余白の本質が言語化できた。

「余白とは時間のデザインではなく、あり方のデザインである」

あり方を探求し、デザインした結果、暮らしの中に出現するものが余白…。

 

何かを付け足すのではなく、
自分の日常の中に既に美しく織り込まれている「静かな余白」に光を当てる…。

今日、何気なく淹れたコーヒーの湯気を見つめる瞬間。

その「余白」は、自分が意図して作ったものなのか? 

それとも、自分の「あり方」がその瞬間を余白として受け取ったものなのか?