物事には、必ず長所と短所があります。

 

恋愛も同じで、長所だけしかない相手を探し続けて、

決断できないことってないですか?

自分にとって完璧な相手なんてこの世に存在しないと思います。

なぜなら、完璧は人間の属性ではないのです。

そういう意味で、完璧主義とは、

とてつもない強欲なのかも知れないのです。

誰かを好きになるとは、相手の中に隠れる短所を受け入れ、

2人で創り出す未来に希望の光を見出すこと。

これは、言葉を換えると、短所はどこまで行ってもなくならない。

例え長所が成長しても、短所は相対的に目立たなくなるだけで、

消えてしまうわけではないということです。

ならば、2人で創り出す未来に希望の光を見出すこと。

ここに、全集中する。そうでないと、決して嫌いではないのに、

短所のもたらす不快が蓄積されて、いつしか、関係性に陰りが訪れる。

じゃあ、どうしたらいいの?

「2人で創り出す未来に希望の光を見出す。」っていうけど、

いったいどうしたらいいの?

そのために、まず、自分のあり方を探求すること。

あり方とは、生き様のことでもあり、

ざっくり言うと自分の立ち位置、居場所です。

立ち位置や居場所というのは絶対的なものではない。

文字通り、相対的に何かとの間に「ある」ということで、

分かりやすく言うなら「自分」「他者」「社会」の3つだと思います。

この3つの主体者が、各々の立ち位置や居場所をさがし、

手に入れようとする様を「あり方を探求」している状態と言うのだと思います。

常に変化するそれぞれのあり方の中で、各主体があり方を探すというのは、

実に混沌とした状態です。

特に、先の見えない不透明な時代と呼ばれる現代では、

それぞれがめくるめく変化の渦の中で「あり方を探求する」という行動には、答えはないと言えます。

では、こんなことに意義などあるのでしょうか?しかし、

日々生活する中であり方を問われる瞬間は意外と多いのです。

例えば…
「将来どんなことをしたいの?」
「どんな働き方や暮らし方をしたいの?」
「家族や恋人とどんな関係を築きたい?」

全てあり方の問いであり、ありふれた問いです。
しかし、難しい問いでもあるのです。

 

なぜなら、多くの人がこれらの問いに対して、

明確で明快な返答が出来ないからです。


「2人で創り出す未来に希望の光を見出す。」って、こういう意味で難しいのです。


だからこそ問い続けなければならない問いでもあると思うわけです。

 

そう思う理由は、問うことで「あり方」が鮮明になり、

より自分らしい生き方を手にすることができると思うからです。


私たちは、日々の慌ただしい生活の中で意味付けを省略して行動に移しています。

例えば、食事を毎日3食とることや、週5日働くことなどがそれに該当します。

「これは自分で決めて選んだことだろうか?」

「自分でそうする意味を見出して行動に移していることだろうか?」、

少なくとも私自身はこれまでなんとなくそうしてきた。


しかし、「どんな働き方や暮らし方をしたいの?」という問いを真剣に考えはじめると、

毎日なんとなくしている食事や、今の仕事を再考し、意味付けをしなければならないのです。

そのために何からはじめるのか?
『より良く生きる』『より良い未来をつくる』という言葉をよく聞きますが、

「あり方」を探求する意義は、

より良い自分に出会い、自分の人生を生きてる実感を手にすることなのだと思います。

そのためにはじめるのは、まず、自分の価値観・信念を言葉にすること。

自分は何が好きで、何があれば幸せを感じることができるのか?


次に、自分にどのような強み(才能)があるのかを知ること。


価値観・信念を形にして幸せを手に入れるために、

自分の強み(才能)をどのような使うのかを言葉にすること。


ここまでくると、自分の理想とする暮らしがありありと目の前に浮かび上がってきます。
自分の理想とする暮らしこそが、2人で創り出す希望の光、そのものなのです。


その光が見えたら、それを一緒に創っていく、未来の相手も自ずと目の前に浮かび上がってくるのです。


あなたが思い描く、理想の暮らしを一緒に創っていきたいと望む人が引き寄せられてくるのです。