1人は寂しいという人がいる。

 

1人でも落ち着いて楽しく暮らしている人もいる。

 

楽しくと言っても、

1人だから自由でいいとか、

好きでもない人と一緒にいる必要はないとか、

いろいろ理屈をつけながら、

1人で楽しんでいるアピールをしている人もいる。

 

本当に楽しんでいる人は、

静かである…。

 

1人でも結構楽しいのだから、

他人にアピールする必要もない。

 

1人の楽しさをアピールする人は、

本当の1人になった時に、

それ相応の寂しさを味わっているかもしれない…。

 

それもまたひとつの生き方なので、

どちらがいいとは言えない。

 

ただ1人で楽しく生きている人、

いや、1人に限らず、

楽しく生きている人は、

心の中に何らかのパートナーを持っていると思う。

 

そのパートナーの存在は人によって異なるし、

その存在は必ずしも人ではない。

 

内的対話ができる、

「もうひとり自分」かもしれない…。

 

ともかく、

「話し相手」が必要なのである。

 

人は、自分の考えを他人と話し合うことによって、

生きることを楽しむことができるし、

自分を客観視することもできる。

 

1人で楽しく生きてゆくためには、

そのような意味で、

2人で生きてゆくことが求められる。

 

完全に1人だと、

自分の存在がわからなくなるだよ。

 

1人でも2人、

2人でも1人で生きる覚悟が求められるんだよ。

 

それを支えているものが「内的対話」…。

 

 

あり方で生きる。

対話で生きる。