結論から言うと、

原則堅持、

変化対応…。

 

「昔はよかった」

そのように言う人は、

今を認めることができず、

過去を生きているのかもしれない。

 

そもそも、

「昔はよかった」

という感情は、

いつの時代でも聞かれるものであり、

自分の過去を振り返り、

「ホッとしたり」

「安心感を得たり」

「自分を肯定」

するうえで必要な感情だと思うのです。

 

ただ、

現代の変化や進歩についていけず、

自分が生きていた時代に逃げ込むことはよくない。

 

先日、私よりお若い方で、

会社経営の経験のある方と話をしていたとき、

最近は、みんなパソコンばかりで、

つまらん…。

私の頃は、紙と鉛筆と電話で仕事をしていた!

どぶ板営業ですよ、飛び込みですよ!

なんなら今から、

〇〇会社の社長に電話しましょうか!

あの社長、知り合いなんですよ…。

 

私は、

驚きを通り越して、

引いてしまった。

 

「いえいえ、お電話されなくていいですよ…。

お忙しいでしょうから。」

 

なんとかその場をしのいだのですが、

私は、複雑な思いを抱えました。

 

温故知新と言う言葉もありますが、

私たちは、

変化に対応するというか、

適応しなければ、

生き延びていけない。

 

変化に対応し、

適応できなければ、

幸せを維持できない。

 

先ほどの、

紙と鉛筆と電話と言われていた方は、

常にまわりに対して不平や不満をこぼしていた。

 

2時間もそのような話をお伺いすると、

なんかどんよりした気持ちになる…。

 

強いものが生き延びるのではない。

変化に適応したものが生き延びるである。

 

幸せを維持しようとするなら、

原則堅持、

変化対応なのである。

 

「昔はよかった」とは、

変化についてゆけぬ人の言葉である。

 

自分のあり方を見失った人の言葉である。