私は、高校を卒業して、
大学受験のために予備校に通った。
その予備校のキャッチフレーズは、
「努力は実る」だった。
しかし、
努力して、
あと一息というところで、
思いがけない不運に見舞われることもある。
努力しても認めてもらえないこともある。
受験に限らず、
努力しても報われないことはあるし、
努力しても、
複雑な人間関係や、
環境の悪化などで、
解決の糸口すら見えないこともある。
努力すればうまくいく、
というのは本当に正しいのだろうか?
実は、この思い込みこそが、
私たちを苦しめているのではないかもしれない。
努力してもうまくいかない、
問題が解決しないと、
思い悩んでいる人は、
「自分の努力が足りない…」と、
不必要に自分を責めて、
自己肯定感を下げている人もいる。
一方、
「こんなに努力してしてもうまく行かないのは、
あいつが悪い、環境が悪い」と考え、
他人や組織を恨んだりする人もいる。
努力すればうまくいく、
この思い込みのせいで、
私たちは努力することに逃げ込んではないだろうか?
逃げ込むことで、
自分を必要以上に苦しめてはないだろうか?
ものごとは努力によって解決しない…。
努力によってものごとがうまくいく、
解決すると思い込むと、
そのための手段であり、
「やり方」に意識が向くのである。
やり方に意識が向きはじめると、
そのうち、
なんのための努力かわからなくなるのである。
つまり、
努力することに逃げ込んでしまうのである。
目的達成よりも、
努力することが目的になるのである。
「やり方」より、「あり方」…。
ものごとはあり方によって解決する。
もちろん努力を否定するわけではない。
「あり方」を大切にして、
自分の大切なことを力一杯大切にしていると、
なぜか、
「いつもブレずに頑張っていますね」
「いつも努力していますね」
と、言われることがあります。
しかし、
やっている側からすれば、
努力をしているつもりはなく、
自分はこれしかできないから、
あたり前のことをしているだけ、
という思いなのである。
自分に無理なくできることを、
コツコツ積み上げているだけ。
当たり前のことを、
当たり前じゃないレベルで積み上げているだけ。
それを努力と言われるなら、
「私には、これくらいしかできません。」
と言うことしかできない…。
ものごとは努力によって解決しない…。
ここまで書いてわかった。
ものごとは、あり方によって派生した、
行動の積み重ねによって解決する。
このように言い換えよう。