たまに「めんどくさい」とつぶやくことがある。
そんな時って、
何かに追われていることが多い。
やらなければならないこと、
やるべきことに支配されているのだ。
テーブルに着席して、
「いただきます!」と、
手を合わせて食事をすることさえ、
疎かにしてしまう。
「めんどくさい」
一体なんなんだ、
この感情は…。
この傲慢になっている感情はなぜ湧いてくるのか。
生産性、
効率化…。
これらを追求すればするほど、
「めんどくさい」という感情が湧いてくるように思う。
「めんどくさい」というのは、
自分が生産性、効率化、
機械の一部、
部品になっているときに、
湧いてくる感情かもしれない。
私たちが生きるということ、
命の本質は、
生産性、
効率化と馴染めないのだと思う。
だから「めんどくさい」という感情が湧いてきて、
今の自分を振り返るチャンスをもたらしているのかもしれない。
生きるって、
余白が必要…。
余白がもたらすチカラを取り込む必要ある。
もちろん、余白なんてなくても生きていける。
社会の部品として生きるのか。
人として生きるのか。
どちらでもいいよ。
仕事で会社の部品として成功するのか。
人生で、人として成功するのか。
どちらでもいい。
自分の魂が喜ぶ方を選択すればいい。
「めんどくさい」は、
仕事に負荷を与える。
人生に負荷を与える。
笑顔で心穏やかに生きるためには、
「めんどくさい」という感情は、
少ない方がいい…。
だから、「めんどくさい」ことを先延ばしせずに、
すぐに手をつけて、
見通しをつけた方がいい。
それを手放せば、
心と身体が軽やかになれる。
軽やかにいこう。
笑顔で心穏やかに生きよう。