自分では力一杯自分の人生を歩んでいるつもりでも、
なぜか違和感を感じてしまう人もいる。
それは、他人の期待に応える人生を力一杯歩んでいるからかもしれない。
常に周りの目や他者や世の中の価値観を優先させている、
作り上げた自分であり、本来の自分ではない。
他人の期待に応える人生は、自分の人生を他人に依存していて、
自分の本当の気持ちを押さえ込んでいるのだ。
違和感を感じるのは、自分の本当の気持ちを押さえ込んでいるからである。
他人の期待に応える人生、つまり他人の人生を歩むことから卒業し、
真の意味で自分の人生を歩むためにはどうすればよいのか?
自分の人生を歩むことを「自立」と表現し、
他人の期待に応える人生を歩むことを「依存」と表現し、
「自立」と「依存」のバランスを考察してみる。
④わがまま
←依存(大) |
↑自立(大)
①自分の人生を 歩んでいる
依存(小)→ |
②他人の人生を 歩んでいる
|
③自分を見失っている
↓自立(小) |
他人の人生を歩んでいる人、自分では力一杯生きているつもりでも、
何故か違和感を感じる人は、「②他人の人生を歩んでいる」領域にいる。
力一杯生きているつもりでも、結局何かに依存していて、自立する気持ちが小さいのだ。
自分の人生を歩むためには、「①自分の人生を歩む」領域に移動しないといけない。
そのためには、自立する気持ちを大きくしないといけない。
自立する気持ちを大きくするためには、自分らしさを発揮させる必要がある。
自分らしさを発揮してまわりに貢献できるようになれば、他人への依存は小さくなる。
一番悩みが深いのは、「③自分を見失っている」領域にいる人である。
自立する気持ちは小さいし、依存する気持ちも小さい。
自分らしさを発揮することもできないし、まわりを信頼することもできないのである。
この領域の人は、何はともあれ、自分にできることでまわりの人の役に立つことを考えないといけない。
一番手に困るのは、自分らしさを発揮できていると思い込んだ上で、他人に依存しようとする人。
「④わがまま」の領域にいる人である。支離滅裂である。
でもいるんだよね、このような人。なんの努力もしないのに、
実力もないのに、自分はまわりに影響を与えていると思い込んでいるのだ。
コーチングの価値は、
「②他人の人生を歩んでいる」人を「①自分の人生を歩んでいる」人の領域へ移動するプロセス
「③自分を見失っている」人を「①自分の人生を歩んでいる」人の領域へ移動するプロセス
にあると私は思っている。
双方に共通することは、自立する気持ちを大きくすること。つ
まり、自分らしさを発揮して、身近な人(自分自身を含め)を喜ばせることである。
自分らしさとは、鏡を見るようなこと。鏡がないと、自分の顔が見えないのと一緒。
コーチングは、簡単にいうと、相手の鏡になることである。あなたには、鏡となってくれる人がいますか?
いるとしたら、大切にしてください。