自分の人生の困難さを100の理由で説明する人がいる。

人生が困難なのではない。

自分が人生を困難にしているのだ。

人生は、極めてシンプルである。

私たちは、自分の人生を自由に描いていいのだ。

今までの不遇な人生を描いたのは自分であり、

これからの人生を描くのも自分…。

 

重要なことは、

何が不足しているのかを説明することではなく、

今あるもの、

与えられたものをどう使いこなすか…。

 

無いものはない。

あるものに全集中する。

自分の境遇を恨み泣き暮らすか、

まわりに感謝し、

今できることに心を込めて取り組むのか、

それは自分で決めることができる。

 

実際に恐ろしいくらいに不遇な人はいる。

しかし、そのような中においても、

ありのままの自分を認め、

笑顔で心穏やかに暮らしている人もいる。

「親が悪いから」、

「こういう運命だから」と、

100万回説明しても、

現実は変わらない。

なぜならそれは、

責任転嫁の典型的な言い訳でしかないから…。

自分が自由に想い描く未来が自分を創る。

不遇な過去の原因は「解説」になっても、

新しい視点を生み出す「エネルギー」にはならない。

だから、相手や環境を変えようとせず自分が変わる。

無理なく出来ることを積み上げる。

習慣の力を借りる。

 

「やる気がなくなった」のではない。

「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。

 

「変われない」のではない。

「変わらない」という決断を自分でしただけだ。

 

この無意識の決断に私たちは気づけない。

全部自分が創った。

で、次どうする。

全部愉しむ。

 

焦らないけど、諦めない。

 

習慣をコントロールする。

 

時間をコントロールする。

 

習慣と時間の使い方。

 

人生は習慣で創られる。

 

命とは、時間である。