自意識過剰というものは(自分というフィルターを通じて物事を見るから)、正確に物事を判断する時に妨げになってしまいますね。

私たちの存在は、お互いを生かし合う為に今、この時代、この時間に存在しているという事を真剣に信じてみる事が大切ですね。

私も自意識過剰な時期がありました。でも失敗を恐れずとことん自意識過剰な自分と付き合ってみて他人との相互作用だったり、違いを感じる事でだんだんと役割や自分のあり方に気がつきました。こういう事が命の進化というものなのでしょうか?

昨日のコーチングで、自意識過剰な命に終わりがきて、おまけの人生に辿り付いた私はすっかり身軽になった事に気がつきました。

おまけの人生では、いろんな事を背負い込むのではなく、(身近な人、大切な人と)一緒にこの世界で生きていく事を考えていきたいと思いました。共存ですね。楽しみます。


先日のコーチングで、このようなメッセージをクライアントさんからいただきました。フィードバックというのはとても大切だと思います。そして、フィードバックをもとに少し考察してみました。


「自意識過剰」の対義語として「無意識過剰」という言葉があります。

この「無意識過剰」とは、ほかの人がどう思うか全く関係なく、自分の思ったことを言ったり行動したりすることです。

誰かの成功は、直接的、間接的に誰かがやったことに支えられていて、それに気づかない、そういうときに使われる言葉です。

他人に対する配慮や感謝の気持ちが不足している状態のように思います。


自意識過剰、無意識過剰…
意味合い的に見れば対極にありますが、どちらが良くてどちらが悪いということではなくバランスなんだと思います。

この間、コーチングを通じて感じていたのは、
自分が嫌いでどうしようもなくて自分を信じることができない、
自分の悪い点ばかりにフォーカス、意識を向けて、自分の良いところを見ようとしない。

これって「自意識過剰」かもしれないということ。


そして、無識過剰も、
自分の存在だけを信じすぎて、他人への配慮や感謝を怠り、自分がすべてだと思ってしまう。

これもある意味「自意識過剰」…。


自分の心には表と裏があり、
対極にあるものが同時に存在している。
だから、バランスが大切で、
そのバランスを保つために、
自分のあり方が大切。

自分のあり方が、バランスをとるための基準になる。
基準がなければ、バランスはとれない。


だから、物事を良い、悪いと2つに区別して、ジャッジするのではなく、俯瞰して、感じてみることが大切。バランスをとる。そうすることできっと、新しい何かが見えてくる…。あり方って、考えるのではなく、感じるもの。