小さい頃、
無意識に我慢して、
自分の想いを制限して生きてきた。
家族に迷惑をかけたくない。
自分の想いで一歩踏み出すことを、
ためらわせる様々な関係性。
「両親が心配する」
「悲しむ顔を見たくない」
「迷惑をかけたくない」
小さい頃には気づかなかった…
それは気遣い?
配慮?
気遣いや配慮を優先させることで、
実は失っているものがある…。
自分の想いで、
自分の人生を一歩踏み出すためには、
勇気を必要とするし、
一歩踏み出す行動には、
責任が伴う。
責任…。
それは、時に自分と向き合うことから逃れるための、
言い訳として使われることがある。
本当の責任…。
正直にありのままに生きる責任。
この責任を果たせるのは自分しかいない。
しかし、
「両親が心配する」
「悲しむ顔を見たくない」
「迷惑をかけたくない」
従順に相手やまわりを思いやるこの気持ち。
とても素晴らしい。
一方で、
自分自身に対する責任を放棄することに繋がっている。
小さいころは、
仕方ない。
両親に心配かけないことだって、
子どもの責任だ。
ただ、
自分の人生、
自分で選択することができるようになったなら、
正直にありのままに生きる責任を果たす…。
いつまでも、
自分と向き合うことから逃れるための言い訳として、
責任の果たし方を間違えてはいけない。
わたしにとって最高の勝利は、
ありのままで生きられるようになったこと、
自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。
ーオードリー・ヘップバーンー