私、心って強いものだと信じています。
生まれ持って心が弱い人なんていない。
私たちは、多少のことがあっても、
それを乗り越える力を持っている。
生命力って、
命って、
きっとそのようなもの。

しかし、心が揺れるというか、
心が弱くなるときがある。

程度の差こそあれ、誰しもあること。

心が弱くなると、
何も感じなくなり、
何もする気が起きない。

未来に対する不安ばかり募り、
自分の存在そのものを疑うというか、
自分に生きている意味や価値があるのだろうか?
そのように本気で思うことがある。

不思議なことに突然訪れる。
何気ない日常から、
落とし穴に落ちるように、
いきなり、
「ズドン」と、
落ち込むことがある。

「えっ、さっきまでノリノリだったのに…。」
「なんで!?」

焦りや不安は更なる焦りや不安を招く。
もがけばもがくほど、
更なる沼へ。

思考もフリーズして、
何も考えることができない。

とはいえ、
世界がすぐに滅亡するわけではないので、
少し落ち着こう。

落ち着いて考えてみよう。
そんなの無理というなら、
安全で安心でき、
信頼できる人に見守られながら考えてみよう。

あなたには、やろうと思ってやっていないこと、
やめようと思ってやめていないことはありませんか?

直近の出来事だけではなく、
この数年間の単位で振り返ってみる。
きっと忘れていることがたくさんある。

なんでそんなことを考える必要あるの?
思い出す必要があるの?

私たちは、
未完了なこと、未完了な想いが蓄積すると、
知らず知らずのうちにそのことについて頭が回転している状態が続き、
エネルギーが奪われていきます。脳が休まらず、疲れ果ててしまうのです。
元気が無くなり、
勇気がバキバキに折れてしまう。

知らず知らずのうちということがポイントなんです。
私たちの心は強いから、
未完了な想いがある程度募っても何とか対処できるのです。

しかし、それが長期間続くと、
いくら心が強くても、
やがて限界が訪れるのです。

その限界は、
徐々に訪れて、
そして、何かのきっかけで、
落とし穴に落ちるように、
いきなり、「ズドン」と、
訪れる。

「未完了の想い」と、
「その何かのきっかけ」には、
深い相関関係がある。

だから、
未完了の想いを考えることと合わせて、
自分が落ち込んだ時のきっかけの出来事を思い出す必要がある。

未完了の想いを持ち続けることにより、
実現できないこと。

実は、それが、あなたが本当に手に入れたいもの。

何かのきっかけとは、
あなたが本当に手に入れたいものが手に入らないという出来事であったり、そのような予兆なのです。

だから、
あなたが本当に手に入れたいものを
手にするためにまず始めなければならないことは、
いきなり手に入れたいものを手に入れる行動ではなく、
何かひとつでも未完了を完了させること。
そもそも動けない状態なので、
行動できるはずがないのです。

どんな些細なことでもいいのです。
未完了を完了させること。

その未完了な想いを特定するために考えるのです。
あなたには、やろうと思ってやっていないこと、
やめようと思ってやめていないことはありませんか?

だって未完了な想いを特定できないと、
完了させようとも完了できないから。

そして、どんな些細なことでもいいので、
ひとつでも完了させることができたら、
エネルギーが高まり、
滞っていたことが前進したり、
新しいことにチャレンジできるように、
元気と勇気が湧いてくる。
言い換えるなら、
自分の人生の視界が開ける。

そのように思うのです。

急がばまわれ。

あなたには、やろうと思ってやっていないこと、
やめようと思ってやめていないことはありませんか?

未完了の想いを完了させる。
元気と勇気を取り戻す。
自分が本当に手に入れたいものを
手に入れるために。

人生は片づけなんだよ。
片づけて空いたスペースに、
自分が本当に手に入れたいものを、
ドンっと置く。