私たちは、 何か少し悪いことが起こっただけで、
「もうダメだ」と落ち込んでしまいがちです。
状況によっては、悪いことが続き、
私の人生詰んだ、
もう終わりだ…。
と思いたくこともあります。
人生は、「いい偶然」と「悪い偶然」が起こり続けるゲームなのです。
なのに、なぜか悪いことが起こると、
「あの出来事が私の人生を狂わせた。」、
そういう表現をする人がいます。
かういう私も、
営業の仕事をしていた時、
確実に契約につながる案件の対象者から、
「契約を保留にして、見直します。」と連絡が来て、
「あー今日はツイてないなぁ、やる気が出ない。」
と落ち込んでいました。
「こういう日は次に回っても、うまくいかないことが多い。」
と、自分に言い訳をしていました。
反対に、以前営業をした対象者から、
「前回の提案、お願いします!」と連絡が来ると、
「今日はツイてるから、なんでもうまくいくぞ!」
と、思ったものです。
本当に都合がいいですよね。
人生も、そして仕事も「いいこと」と「悪いこと」が偶然起こり続けるゲームなのに。
ゲームの構造をわかっていれば、何が起ころうとも、その後の判断や行動を変える必要はないのです。
私たちは、運・不運で感情を揺さぶられます。
感情が揺れて、いいことは 1 つもありません。
強気で提案して仕事をすべきところで逃げてしまったり、
逆に強気で行きすぎたりして反発されたりします。
冷静さを失っているとき、私たちはなかなか気づきにくいものです。
感情が揺れてしまう原因としては、大きく 2 つあります。
・偶然起こった悪いことを、必要以上に悪い方向へ意味づけしてしまうこと
・ミスをしてしまったことで、必要以上に自分を卑下すること
たとえば、仕事で契約が取れず目標が達成できそうにない時、それを取り戻そうとするあまり、無理をして傷を広げてしまう。反対に、目標が達成して調子に乗りすぎて気がゆるみ、足元をすくわれる。
いずれもよくあることです。何かいつもと違うことが起こると、いつもどおりの行動ができなくなるのです。
「いつもどおりにできない」とは、どういうことか。次の最適な行動選
択できなくなってしまうことです。
いつもなら、当たり前にできることでも、感情が揺れてしまったせいで、強気になりすぎたり、弱気になりすぎたりして、いつもと違う行動選択をしてしまうのです。
感情が揺れることで、単純に視野が狭くなって、正しい判断ができなくなるのです。
感情が揺れることで、心のゆとりを失い、1 つのことしか考えられなくなり、他の可能性に気づかないで、チャンスを見逃してしまう。
感情が揺れて、メンタルが弱っているとき、緊張しているときは、そうした大事なものを見落としてしまうのです。
その状態から、さらにミスを重ねてしまえば、さらに感情が揺れてしまい、よりいっそう正しい判断ができなくなる。そんな悪循環に陥ってしまうのです。
私たちは感情の生き物なので、
感情が揺れることを防ぐ手立てはありません。
しかし、いつも通りの行動を選択し続けることはできるのです。
それはメンタルの差ではありません。
メンタルに強い、弱いはないのです。
あるのは、考え方…。
「ツイている」=未来にも幸運な偶然が起こる
「ツイていない」=未来にも不幸な偶然が起こる
このようなわけではないのです。
偶然起こった良いこと、悪いことを、必要以上に意味づけする必要はないし、思い上がったり、卑下する必要はない。
もしこのように考えることができたら。
人生には、良いことも、悪いことも同じ数だけある。
私はそう考えていて、
良いことも、悪いことも同じ確率で起きる。
ただ、必要以上に意味づけをすることで、
あえて悪いことを先取りしているのかもしれない。
人生は「偶然のゲーム」、
この表現が、
人生を軽く見ていると言われるなら、
人生は「平常心を保つ舞台」と言い換えてみたい。
「平常心を保つ舞台」とするなら、
そこで求められるのは、
「あり方」だと思う。
「あり方って何?」と、問われるなら、
自分は、何が大切で、何が好きで、どんな時に嬉しいのか。
これだと思う。
これさえ明確にできれば、
どんなに感情が揺れても、
「平常心」を保つことができる…。