国の税金の使い方やまたは政治に異議を唱えたり、国がよい方向に向かって行くために、デモをしたり、署名活動をする…。

それによって、世界に大きな変化が生まれ、よい方向に変わる。

一方で、そういう政治的なことに積極的には関わらないけど、一生懸命働いて、平和を祈ったりイメージしたり、身近な家族に愛を示し、平和に暮らすことを大切にしている人もいます。

どちらも、願いは同じであり、やり方が違うだけ。

前者の声を上げて活動をする人々は、黙っていてはダメ!みんなで動いて国をいい方向に持って行こう!という、燃えるような強い意志がある。

後者は、集合意識体の力を理解していて、自分が大切にしていることを力いっぱい大切にすることで、まわりの人に影響を与えていると思うのです。

どちらがよくてどちらが間違っているかとかはなく、どちらも大切。

私は後者で、人の意識の向け方は集合意識体に多大な影響を与えるものであると思っています。

かくいう私も以前は、反対運動やデモや署名活動に携わったことがあります。むしろ、そのようなことを仕事にしていました。

人にはそれぞれの役割があると思っています。

自分がやっていることやらない人に対して、
または、自分がやめていること、やらないことに対して、
やっている人を裁く言動をするのは、
逆に混乱を招く…。

自分が正しいと思ってやっていることでも、
それは自分にとって正しいこと。
すべての人にとって正しいわけではない。

もちろん相手が望むのであれば伝えます。
正しいことの押し売りはしない。

それでも自分が信じていることを伝えたいから、
私はこのような形でお伝えしています。

ちょうどいい。
自分の呼吸にあっている。
呼吸にあっているから続けられる。
続けられるから、長息(長生き)できる。

私自身、正義感が強くて、20代の頃は、仕事を通じて後輩や先輩ににいらぬアドバイスをしていたことが山ほどあります。

しかし、年を重ねた今、それらを考えてみると、人それぞれの決定と、人それぞれの役割があり、そして、相手もまた成長途中であり、もちろん自分も変化や成長の途中であり、誰かのアドバイスで変わるよりも、自分で気づいたほうがその人のためになることがわかります。

だから、緊急な場合を除き、相手が望まない限り余計なアドバイスはしません。

聞かれたら個人的な意見は言うかもしれませんが、それでも、相手と私は違う…。

相手が担う役割も認められるようになると、いらぬアドバイスをするよりも、信じて見守る方がその人のためになることもある。

相手よりも相手を信じる。

相手がビビるくらい、
相手を信じる。

それ以前に自分の役割を信じる。

人にはそれぞれ役割がある、身の丈に合わせて生きる…。