働くことは、個人の可能性を開花させ、自己実現の可能性を大きくする。

しかし、「心の安らぎ」「幸せ」の指標を物質的な豊かさに求めている限り、私たちは飽くなき経済成長の渦の中に飲み込まれるばかり。

物質的な豊かさを指標としている限り、私たちは「足るを知る」、そう、足るを知り得ない状況となる。

だから、所得は増えても、労働時間は短くならない。

むしろ、IT技術の進歩とコロナによる社会環境の変化があいまって、実質の労働時間は確実に長くなっていると思う。(目に見えていることより、見えないことの方が真実を語っていることがあるのだ。)

しかも、IT技術の進歩により、細切れに仕事の問い合わせが入り、休日が休日でなくなる。

素直で従順である人であればあるほど、それに真摯に対応する。(実際、メールや電話で指示を出すことが面倒で、外出途中で、仕事の指示を出しに営業所へ行ったことがある。はい、昔の私のことです。)

そして、問い合わせをする側も、そう人を狙いうちにする。(これは両者ともに無意識であるので、誰が悪いとは言えない。)

物質的な豊かさ、経済成長の結果、所得も増え、豊かな社会が訪れ、オートメーション化により、労働時間も削減され、私たちは、余暇をいかに過ごすか…。このような時代が来ると信じられていた。

働いても、働いても…。

私たちは豊かになったのだろうか?

先日、新聞のコラムを読んでいてある問が頭に浮かんだのです。

日本は、「思いやり」や「助け合い」が美徳とされている。大きな災害時に助け合う姿が国際的にも注目されている。

しかし、行き過ぎた経済成長、物質的な豊かさを求めた結果、「困っている人を助けず」「自分のことは自分でどうにかしなければならない」、自己責任が優先される国になってはいないだろうか?

「思いやり」や「助け合い」が美徳とされているのに、なぜ、自己責任が優先される国になっているのだろうか?

新聞のコラムを読んで、この問いが頭に浮かんだのです。

会社や組織において、生産性と利益を優先するあまり、タコツボに追いやるように個人を分断している。3ヶ月ごとに仕事の成果を査定、評価し、常にすぐに成果を求められる。

これが繰り返されると、「困っている人を助けず」「自分のことは自分でどうにかしなければならない」、自己責任が優先されるのは仕方がないことだろう。世の中の空気感というのは、このような小さなことの積み重ねの結果醸成される。気がついたら、その空気感に私たちの心は支配されている…。

その結果、日本は、うつ状態になる人は増えているし、自殺率も高く、孤独死も増えている。

新聞のコラムには、このようなことも紹介されていた。
生活保護が必要でも需給をためらう人が多い。
貧困に陥って助けを求めることを「恥」と考える自己責任論。

以前、私、介護事業に携わったことがあり、利用者さんの生活保護の手続きの問い合わせで行政の窓口へ行ったとき、窓口の男性職員に恫喝されたことがありました。私は毅然と、仕事として、手続きの確認に来た旨を伝えると、その窓口の男性職員はバックオフィスへさがり、別の女性職員が対応してくれました…。(窓口の男性職員は私が生活保護の申請に来たと勘違いしていたのです。)

このような事例が全てではなく、もちろん親身に対応してくださる方もいらっしゃることも事実である。

私たちは人に貢献したいのだ。

しかし、その想いも、ある種の空気感や、自分の思い込みでいとも簡単にひっくり返る。

自分の行動に責任を持つことは当然だけど、それでも個人で背負いきれない状況においては、安心して話ができる場が必要となる。

私たちは人に貢献したいのだ。

だから、私たち一人ひとりの日常の行動が大きなうねりを創り出す。

「心の安らぎ」の指標は物質的な豊かさだけではない。

対話で端楽。

自分に無理なくできることを積み上げるのみ。

愛、信頼、絆、繋がり、徳…

物事は心の目で観る。

本当に大切なものは目に見えないから。