夏になると蝉が鳴き始める。
今年は、例年よりも暑すぎるためか、少しおとなしい感じがする。
私の家の周りは、なぜか蝉が多く、
スマホの目覚ましよりも、蝉の鳴き声の方がうるさいくらい・・・。
今朝、ごみを捨てに行く途中で蝉の抜け殻を発見。
スマホでパチリ。
よくよく見ると、一つは成虫になる前に力尽きたようだ。
一般的に蝉の寿命は、成虫になって1週間くらいと言われているが、
実は、1ヶ月くらい生きるそうです。
蝉は、木の樹液しか食べないので、飼育が難しいそうです。
いずれにしろ、蝉は短命で、儚いものの象徴とされています。
桜の花と同様に、無常観は、古来より培われてきた日本人の感じる美意識の1つだと思います。
蝉の抜け殻は、この無常観や儚さの象徴として、空蝉(うつせみ)=現人(うつそみ)として、この世に住む人、
現世をあらわす言葉となっているそうです。
成虫になって、1ヶ月しか寿命のない蝉ですが、
幼虫は、種類によって差はありますが、3年~13年くらい地中で過ごすそうです。
仮に13年地中で(156ヶ月)過ごして、1ヶ月成虫として過ごすのなら、
成虫の形態は、たったの0.6%なのだ。
となると、幼虫の形態の方が、本来の蝉の姿かもしれない・・・。
そもそも、蝉が成虫になる最大の目的は、繁殖のためであり、
繁殖のためには、1ヶ月もあれば十分らしいのです。
だから、蝉は成虫になると、毎日猛烈に鳴いてアピールしているのか・・・。
であるならば、成虫になれなかった蝉の幼虫は、繁殖はできなかったものの、
十分に生きたと言えるのではないだろうか?
視点を変えれば、そう思えるのだ。
仮に成虫になったとしても、鳥に食べられるかもしれない・・・。
蝉の抜け殻は、この無常観や儚さの象徴として、空蝉(うつせみ)=現人(うつそみ)として、この世に住む人、
現世をあらわす言葉。
大切なのは、今を生きること。
このことを、蝉の抜け殻は、私たちに教えてくれている。
蝉の抜け殻を見て、そのようなことを考えた。
追伸
大切なのは、今を生きること。
今を生きるのであれば、
できれば、自己犠牲は少なくしたい。
我慢を重ねても、
笑顔で心穏やかに生きることはできないから・・・。
自己犠牲や我慢は、
他人の軸で生きること、
他人の期待に応える人生であり、
自分の軸を放棄し、
自分の人生を放棄することになるから・・・。
自己犠牲や我慢は、もはや美徳ではない。
今を笑顔で過ごせないのであれば、
未来を笑顔で過ごすことはできない。
笑顔で過ごせないのであれば、
心穏やかに生きることはできない。
笑顔で心穏やかに生きることの方が美徳であるように思う。
笑顔で心穏やかに生きているだけで、
私たちは、十分に存在価値があるから・・・。
笑顔は、人間に与えられた最大の力である。
※蝉の抜け殻から、考えすぎた~。