今を生きる。
わかっている、当たり前。
実は、私たちは当たり前のことができていない。
当たり前のことって本当に難しい。
例えば、彼女とデートの約束をしていて、
仕事の帰り際に上司から食事に誘われて、
しかも、今度の仕事の打ち合わせを兼ねて…。
気がついたら、LINEで残業が入ったのでデートのキャンセルを送信。
損得勘定が働いたのである。
今を生きるというのは、
損得感情で生きることだと思う。
頭でなく、心で選ぶ。
心が動く方を選ぶことが、今を生きるということだと思う。
私たちは、ついつい、損得勘定、もっというなら金勘定で生きてしまう。
心で選ぶことをしないと、いつしか心で選ぶということを忘れてしまう。
そして、いつも頭で考え、そろばんをはじくように(たとえが古い)損得勘定で生きてしまう。
クールな生き方であると思うし、仕事ができる人だと思われるだろう。
しかし、人生の最終局面において、猛烈に後悔することになる。
人生の最終局面においては、クールであろろうが仕事ができる人であろうが、そんなことは全く関係ない。
「あー、生まれてきてよかったー!」と思えるかどうか。
クールであること、仕事ができる人であることは、所詮、人との比較の上での評価である。
それは、自分の人生ではなく、他人の人生を生きていることになる。
私たちは、他人の人生を生きるために生まれてきたわけではない。
人生の最終局面において、悔し涙だけは流したくない。
そうでなければ、徹底して今を生きるしかない。
心で選ぶ、損得感情を意識しなければならない。
これ、かなり難しい。
難しいからこそ、チャレンジする価値がある。
さて、どうする?
人生の最終局面は、明日かもしれない。